第三十八章 オンラインパチンコホール、EL DORADO(エルドラード)広報担当に就任するまで「オンラインパチンコ事業」
「俺たちと一緒にやらないか」
思いもよらぬLINEが私の元に届いた。
JENCOアドバイザーとしての対応を、ずっと見てくれていたメンバーがいた。オンラインパチンコ事業をずっと立ち上げてきたメンバー達である。
「俺たちのパチンコ事業でポストを準備する。こっちで一緒にやろう!!」
アツすぎるそのLINEの内容は公開出来ないこともあるし、あまりにも長文だったのでここには記せないが、当時私は以前の章でも紹介した洗車事業の真っ只中であった。
お客さんの洗車を切り上げ、私は足早に帰路についた。
その後私は、グループの代表から詳細説明を受けた。
「果たして私はやっていけるのか!?」
またまた重大任務を仰せつかった。
オンラインパチンコ…。確かに発想は斬新で面白い。しかし、本当に流行るのか!?
私自身20代前半の頃は、休みの日になると一日中パチンコ屋で過ごしていた経験はあるが、その時の私はまだ疑いの目を持っていた。
すると、ある代表メンバーからLINEが届いた。
「10月末に責任者だけが集まるイベントがあるよ。」そのイベントに参加すれば、私の疑いは必ず晴れるという内容だった。
しかし、私は迷わずお断りの連絡をした。なぜなら10月末は例年、本業が一年で一番忙しい時期を迎えるからである。これは決まっていることだからどうしようもない。
「なんでこんな時期に!」そんな風に思った。
しかし当日…、私はイベント会場にいた。
オンラインパチンコ事業に賭けてみようと思った。その時はまだ根拠などない。”直感”である。どんな状況であろうと必ず行く!!
そう決意していた。
当日の朝、会社から電話が入った。
上司「お前仕事はどうした?」
”やばい、状況的にかなりやばい”。私は吐きそうであった。
今更悩んでも仕方がないと自分に言い聞かせるが、ただ、何を食べても味がしない。
そんな状況の中、そこには初めて出会う面々もいたが、今では最高の仲間達である。
以前の章でも紹介した私の”コンフォートゾーン”は今、そのメンバーで構成されている。
イベント会場、そしてその後の懇親会では、普段絶対にお会いすることが出来ない方たちに会わせていただく機会を設けてもらった。
私の中にあった疑いの目が、確信へと変わっていった。
「この事業、流行らないはずはないと。」
色々な意味で刺激的な一日を送った私は地元へと戻った。
そこからはまたオンラインパチンコ事業について勉強の日々。
オンラインパチンコについて誰かに説明すると、未だに鼻で笑われることがある。
ただし時代の先駆者というのは、どのような業種であれ、いつだってそうである。イノベーターの宿命というやつだ…。
非常識だったことが常識へと変わる時、鼻で笑った人たちが手のひらを返すことになるだろう。
”その日が来るまで私は走り続ける。”
グループの代表が3年かけて築き上げてきたこの事業に参加させてもらってまだ間もないが、ありがたいことに、世界初のオンラインパチンコホール「エルドラード」の広報担当として、日々活動させてもらっている。
時代が変わるその時まで。
ここまでが、私が”オンラインパチンコ事業広報担当”に任命いただいた経緯である。
8月まで誰にも知られていなかった私が、ある場所では”JENCO専属アドバイザー”またある場所では”アルファ”、そしてまたある場所では”showタイム編集長”を名乗り、今では多くの共に戦い合う仲間達ができた。
この物語はまだ始まりに過ぎない。
世界初のオンラインパチンコホール「エルドラード」が3月以降にグランドオープンを迎える。
伝説の始まりだ。第39章へ続く…。
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