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第三十七章 オンラインパチンコホール、EL DORADO(エルドラード)広報担当に就任するまで「JENCOのその後」

2021年2月、久しぶりにこの記事を書く。

JENCOは2020年9月1日よりスタートした。当時はかなりの盛り上がりを見せていた。MLMを採用していたので、我々の収入は2021年6月頃には年収ベースで3000万円ほどになることが予想されていた。

某サロンではJENCOについて”協力者募集”の投稿が。私はすぐに連絡した。

「なんでもやります!」と。

するとサロンオーナーから返信があった。

「ではサロン内で代表メンバーの二人に代わって、質疑応答に対応して下さい。」

とのこと。某サロンでは、代表メンバー2名を選出し、二人の月収が1000万円になることを目標としていた。

当時の私はサロン内で無名であった。それもそのはず、それまでサロン内で目立った発言をしたことがなかったのだから。

当時無名の私が受けた任務はあまりにも責任が重いと感じたが、それでも私はやろうと思った。その時の私は本気でJENCOに人生を賭けるくらいの気持ちでいたのである。

そしてそこから9月の一か月間はひたむきに頑張った。本業の仕事を終えると家に直行し、JENCOについて勉強の日々。公式ページから資料を全て印刷し、ファイリング、片っ端から読みつくし、それでも分からないことはネットより情報収集した。

そして私はサロンメンバーの質疑応答に対応した。サロン内のコンテンツ部屋、DM、電話対応など、本業の間も時間を見つけては(正確に言うとトイレなどに身を隠し)とにかくレスポンスを重視した。思い返しても当時の自分はよく頑張った方だと思う。

そして9月の下旬になる頃、とある場所でJENCOセミナーが開催された。会場へ行くと初対面の面々。しかし、その場所にいたメンバーの中には、今となっては濃密な繋がりをもつことになる仲間たちが何人もいた。

セミナーの後オフ会が開催され、その際初めて自己紹介をした。するとなんと…。

私の名前はメンバーの中に浸透していた。なんだか努力が実った気がした。つい一か月前まで全くの無名だった私の名前をみんなが知ってくれている。

それから私はメンバー達と貴重な時間を過ごした。その中で出てきたのが、これからの記事の本題である”オンラインパチンコ事業”である。当時の私はJENCOで一杯一杯であったため、話半分程度に聞くくらいしか余裕がなかった。

その時は他のみんなも本気でJENCOに賭けていたが、結果はご存じの通り…。JENCOは残念ながら出金停止となってしまった。

しかし私は諦めることなく、わずかばかりの復活の希望を抱きながら、JENCOアドバイザーとして対応を続けた。”JENCOに人生を賭けている人たちがいる。”

私は9月の初めにJENCOのオープンチャットを立ち上げ、最終的にメンバーの数は100人を超えていた。

JENCOからは出金停止になった後、zoom説明会が何度も開催され、私はその都度レポートを書き、サロン内やオープンチャット内で公開していった。

すると巡り巡ってそのレポートがJENCOプレジデントの元まで届くようになった。そもそもzoom説明会は見ていると時間がかかるので、レポートを読んだ方がみんなにとって効率がいい。そのような思いから書き始めたものだった。

サロン内やオープンチャット内で評価をいただいていく中、怒涛の9月を走り去り、10月が迎えたある日、私のもとに一通のラインが届いた。

その内容とは” 第38章へ続く…。


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