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髪型を変える時

 私は今くらげみたいな髪型をしている。いわゆるウルフカットなのだが、狼というよりはくらげに近い。高校生の頃からして見たかった髪型だが、セットをしなければきっと無造作すぎる髪型になってしまうし、なんだかそんな横文字の髪型は自分には烏滸がましい気がしてしまって挑戦できずにいた。しかし、大学に入って数ヶ月、1限からの日でなければ朝丁寧に髪を巻く余裕があることに気づいた。なにより高校を卒業して初めて髪を染めた、その10日後に別れた、その髪型を褒めてくれた恋人のことを忘れたかった。
 思い返せば私が髪型を大きく変えるのは何かを忘れたい時であったり、場面を切り替えたいと思った時が多い。中学生の頃、2年半かけて腰まで伸ばした髪の毛を好きだった人に振られて30cm以上切った。高校2年の部活の代を自分たちが引き継ぐタイミングでも、高校3年の精神が大きく崩れてしまった時の後にもロングヘアからボブヘアへの変容を遂げていた。なかなかに安直な考えではあるけど、髪の毛にはその時伸ばした分の時間とか気持ちとか想いとか祈りとかが織り込まれている気がするから、それと別れるつもりでばさりと髪を落とした。
 大学にはいるタイミング、今年の3月は少し趣が違った。髪を染められるようになったのである。せっかくなら髪を染めて進学に向けて気分を変えたい。しかし私は自分の真っ黒な髪の毛に愛着がずっとあった。黒髪が1番似合うと思っていた。周りの人から1番褒められるポイントだった。アイデンティティとまで思っていた。妥協点として、大部分の黒髪の部分はそのままにイヤリングカラーで金色を入れるところに落ち着いたのだった。この髪型は嬉しいことに周りから好評であり、母親からも珍しく褒められるほどであった。当時付き合っていた彼氏も私の表面の髪を少し持ち上げて、染められている場所を確認して、似合うねと言ってくれた。そしてその10日後、私たちは恋人としての関係を切った。
 恋人としての関係を切っただけであり、今でも良き友人として交流は続いている。その人のことは恋人としてだけではなく人としても好きだったし尊敬していた。別れたことに大きく未練が残っているわけではない。それよりも、お互いの交流が途切れなかったことを喜ばしく思う気持ちの方が大きい。しかし、誰かに間違いなく好きでいてもらえてその気持ちに甘えていた自分への未練はなかなか消えない。冒頭で恋人のことを忘れたい、と書いたが恋人に大切にされていた自分のことを忘れたい、という方がしっくりくる。
 だから私はくらげみたいな髪型にした。毎朝のセットにも慣れて快適に過ごしている。海が好きな私には狼よりもくらげみたいなシルエットはぴったりなのかもしれないと毎朝鏡の前で思う。そして、愛着があった、褒めてもらった黒髪を辞めた。ビターチョコレートみたいな表面の色とグレージュのインナーカラーは私によく似合っていた。別に黒髪のままじゃなくても私は私だった。
 とりあえずしばらくはこの髪型、髪色を満喫することにする。また気持ちを変えたくなったら、次はどんなふうに変わってみよう。

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