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宝物。

こんばんは。僕です。(ぴーす)

今、このとき、この瞬間の気持ちを残してみたい、と思ってnoteをはじめたので、早速「最近あったとても嬉しいこと」を残しておきたいと思う。

僕にとってはずっと、―といっても世間一般では短い期間だけれど―話しかけてみたいな、と思う人がいた。素敵な文章を書く方なんだ。
しかし僕はあまり人と会話するのが得意ではない……と自分で思っているし、何より人目に触れたくないので、実際に話しかけることはないだろうと思っていた。そのときまで。

あるとき、どうしても、その人に伝えたいことができた。
衝動、だった。いてもたってもいられなかった。
僕は自分が文章を書き慣れていないことや、人に話しかけることへの不安も忘れて、必死に言葉を綴った。
僕が勝手に救われただけのことなのだけれど、きっと救われることはないのだろう、と思っていた部分だったから、嬉しいとか喜ばしいとか、そういう感情を通り越していた。
あの時間の感情を的確に表現する言葉を、僕は知らない。

そうして、えいや、と手紙を出した。
暫くして、なんと返事がきた。
別に返事が欲しくない、というわけではなかったから、確かに返事は不要、とは書いていないのだけれど、それでも、憧れの人から返事をいただける、という経験は僕をびっくりさせたし、言葉では表しきれない喜びがあった。
それだけでも、もう充分嬉しかった。
ここまででもう、僕の人生で一番嬉しかったことと言える。
でも、嬉しかったことは、まだまだあった。

返事は、物凄くイメージ通り、いや、それ以上に、優しかった。
言葉選びのひとつひとつが、その文の持つ空気が、僕をやさしく包み込んだ。ああ、話しかけてよかった。
それどころか、その内容に、さらにさらに救われてしまった。
僕はなんというか、物分りが良さそうな顔をしていて、そのこと―いつか書くことがあるだろうか―も、悟ってというか、諦めたような気でいた。
けれど、心の何処かではどうしても諦めきれなくて、誰かが”それ”をくれるのを、ずっとずっと、期待していたのだろうね。
ほしかった言葉を、いつか誰かが、と想像していた以上のものを、もらってしまった。
もちろん感謝の返事はしたけれど、どう頑張ってもこの恩は返せる気がしない。

僕はあまり自己肯定感というものが高いほうではない、ので、こんな僕が、こんなに救われてしまっていいのだろうかと思う。
実は手紙を出す前に少しばかり凹む出来事があって、今日までそれを引きずったりもしていた。今朝なんて身体が鉛のようだった。
それでも今日、凹む出来事と向き合えたのは、もらった返事のおかげだ。
僕は生涯、この手紙のことを忘れないと思う。
一生の宝物、というやつ。


憧れの、優しい貴方へ。
ありがとうございます。
僕は今日も、此処で生きています。


文章を書くというのは難しい。
途中、自分の言いたいことがわからなくなってしまって、壁を見つめていた時間が30分はあったと思う。
それでも、こうして思っていることを書き出すのは、思っていたよりも、気分が良い。また書きたいかもしれない。

それでは今日はこのあたりで。
読んでくださったあなたに、よいことがありますように。

瑠璃

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