日本にいると
最後に海外に渡航してから約4ヶ月が経つ。
大学の授業もあと少し。
バイトもそこそこ入って夏休みの分を取り戻してる。
余った時間はTOEICだったり、ゼミのドイツ語を勉強している。
でもnoteを書く機会が明らかに減った。
ドイツにいるときは業務で疲れた時以外は2日に1回くらい、
カンボジアにいるときはほぼ毎日書いていきた。
でも母国の日本に来てからと言うもの、書く頻度は1ヶ月に2〜3回。
なんでだろうって考えてみたら、自分なりに答えを見つけた。
日本の環境に慣れて、ただなんとなく生活しているから
である。
朝起きてご飯を食べて、準備をして、電車にゆられが学校に向かう。
そして授業を受け、興味のない者には周りに流されてスマホをいじったり。
そして授業が終われば、バイトの日はそこへ向かう。
労働環境に多くの疑問を抱くようなバイト先で、バイトをして帰宅。
バイトが無い日は、自宅か図書館で語学の勉強する。
そんな平日を過ごしている。
土日も基本バイトか、語学の勉強をして、ジムに行ったり。
次行く海外の予定を立てたり、ガイドブックを眺めたり。
そうしていくうちに1日が終わり、また平日の繰り返し。
日本での日常に慣れすぎてしまって、心の琴線に触れることが少ない。
それは日本人で、日本で育った自分にはしょうがないことだが、本当に何も考えないでせいかゆしてると言うことがバレバレである。
全く考えてないと言ったら、就活について考えたりするから少しは考えていると思う。
ただし、それは薄っぺらい今年かまだ考えられてない。
だから、自分は海外に行く。
海外に行って、知らない文化や知らない人と触れ、自分と比べ、様々な学びができる。
日本にいてはそれが当たり前だって言うことも、全く違って視野が広まる。
こういう考えしてなかったなとかを気付き、それを日本に持ち帰って日々に活かす。
これが理想の形である。
日本にいると、どうしても周りに流され、ちょっと目立ったり人っ違ったりすると批判されたり、笑われたりして、”みんなと同じ”ようになってしまう。
別に日本の文化とかこういう風習が悪いとまでは言わない。
しかし、小学校を日本とドイツで過ごした自分にとって差は明らかだった。
学級委員とかリーダーとかをドイツでやってた自分も、日本に帰国後はそういう目立ったポジションをやると笑われたり、何かのターゲットのなったりした経験もある。
”周りの目”を気にせず、自分らしく、自分の思ったことや、やりたいことができるのが海外。
だから自分は海外行って確かめる。
何ができるのか。何をしたいのかを。
それがきっと心の琴線に触れることで、それを言語化したいって思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?