環境法令 その14(公害分野-5)

先日、夜帰宅すると我が家の庭に甘い芳香が漂っていました。今年もようやくキンモクセイの花が満開になりました。


さて、今回は特に公害関係の法律に散見された「調和条項」について触れていきます。

前回まで見てきたように、高度経済成長期とともに顕在化した公害問題を契機に数々の環境法令が整備されていきました。
その過程で従前より運用されていた環境法令の中に存在した「調和条項」も削除されました。

その調和条項とは一体どんな内容なのか?

1962年制定の「ばい煙規制法」の第1条には次のように書かれていました。

この法律は、工場及び事業場における事業活動に伴って発生するばい煙の処理を適正にすること等により、大気の汚染による公衆衛生上の危害を防止するとともに、生活環境の保全と産業の健全な発展との調和を図る。

このように「生活環境の保全」と「産業の健全な発展」が調和するように図られていたのです。


今では考えられないような内容ですが、産業を発展させるためなら多少生活環境を犠牲にしても仕方がないという考え方だったのです。

ばい煙規制法案の立案は当時の厚生省が担当しました。閣議で全会一致しなければ、国会へ提出して審議することができませんが、当時の通商産業省はこの「調和条項」を入れなければ閣議で賛成しないという強固な姿勢を見せていました。

前回までにもお伝えしましたが、当時は高度経済成長期の真っただ中にあり、産業発展・経済発展が最優先で、環境問題や国民の健康に対する意識はかなり低い風潮でした。

当時の自治体の市歌がそのような風潮をよく表しています。
1934年に川崎市で制定された市歌には、「黒く沸き立つ煙の焔は空に記す日本」
というフレーズがありましたし、
旧八幡市の市歌には「焔延々 波濤を焦がし 煙濛々 天に漲る」
というフレーズがありました。
そして水俣市の小学校の校歌には「うすくれないに華咲く煙」というフレーズが今もなお存在しているそうです。

(今回の出典元:北村喜宣氏著「環境法[第2版]」)


そんな産業発展最優先の時代の「調和条項」の削除や、数々の環境法の成立の契機となった四大公害をはじめとする環境の悪化は相当深刻なものであったと伺えます。


次回からは、そのような経緯で制定されていった公害分野の個別法について触れていきます。

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