松本善明

松本善明元衆議院議員ご逝去

松本善明(まともと・ぜんめい)元衆議院議員が亡くなられました。93歳でした。

共同通信のニュース
元共産党国対委員長の松本善明(まつもと・ぜんめい)氏が6月24日午後10時13分、老衰のため埼玉県所沢市の病院で死去したことが分かった。93歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男猛(たけし)氏。後日、お別れの会を開く予定。共産党が1日、明らかにした。
 東大在学中に共産党に入党。1949年に福島県で列車が転覆し機関士ら3人が死亡した戦後最大の冤罪事件といわれる松川事件や、皇居前広場でデモ隊と警察が衝突した52年の「血のメーデー事件」などを弁護士として担当した。
 衆院議員を通算11期務めた。死別した最初の妻は、絵本作家のいわさきちひろさん。

善明さんと私は変な繋がりがありまして、2001年仙台市内の電力ビル前で街頭演説をされることを当日知って、文房具店で小さなサイン色紙を購入し、国会議員の街頭演説自体を初めて聞きに行きました。

全く選挙のことや党員のことなどど素人だった私に対し、善明さんは演説後私のサイン色紙にサインをしていただき、そしてこう言ってくださいました。「あなたも共産党員の見込みがあるね。共産党に入ってみないか?」という話を直接されたのです。その時は絵本作家故いわさきちひろの元夫とは知りませんでした。

それ以前不破哲三さんがニュースステーションにVTR出演し、私が結構尊敬している久米さんと、旧党本部内でトークをすることがあったのです。

その時久米さんが「共産党が党本部の屋上で物干しですか?!」と、話すと不破さんは「共産党は貧乏なので、党本部で物干しをするのが当たり前なんですよ。」

政党助成金なんか全くわからないことで、寄付のことすら全くわからなかったのです。党員のことすらわからなかったのです。

その時党員になろうかなぁ…と思っていた矢先だったので、善明さんの言葉がダメ押しになったようです。

実はその後党員になるまで数年掛かっています。
党内での諸事情のためでした。つまり党員になる要件であった推薦人が誰も居なかったのです。

そのためしばらく掛かってしまいました。
私の事実上推薦人になっていただいた青野登喜子宮城県議も、十数年前病気で任期途中で逝去され、今回の善明さんのご逝去によって、私を共産党に入党の声を掛けたかたはこの世には居ないのです。

今頃前妻であるちひろさんや、諸先輩、後輩のみなさんと天国に呼ばれているさなかでしょう。

善明さんは期日前投票を高評価し、期日前投票をすればいつお迎えが来てもいい。と常々ブログに綴っていました。
今回期日前投票ができなかったことは、善明さんにとって悔しかったはずですが、善明さんらしいところと、善明さんらしくないところかもしれません。

善明さんのご逝去に深い悲しみを抱え、選挙戦闘おうと思います。
共産党の恩師松本善明さん今までありがとうございました。

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