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「V.A. - Footsteps In My Bubble, Pt.1 Mixed By CH.0」 リリース記念 インタビュー Vol.1

Jazzy Sport Kyotoの3周年を記念して作られたJSKミックス・シリーズ第一弾は、KID FRESINOのバックDJとしても知られ、京都拠点にDJ/レーベル運営など精力的に活動しているDJ CH.0をフィーチャー。3月20日のリリースを目前に控えた CH.0がDJになるまでの経緯〜これまでの活動、今回のMix CDのコンセプトについてを全3回に渡りインタビューしました。

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 -音楽的視点からのCH.0のパーソナリティ-


JSK: いつ頃から音楽を音楽として意識して聴くようになったのですか?

CH.0: 多分僕はレコードを買い出した時期じゃないですかね。15歳頃かな、学年で言うと高1っすね。

JSK: それまでは音楽が聴きたくて聴くと言うよりは、ただ耳に入ってきていたと言う感じですか?

CH.0: それまで実家にあるJポップのCDを聴いてみたりはしてたんですけど、初めて自分で買ったのはサザンオールスターズのCDだったんですよね。当時家に "Tsunami" の短冊CDがあって、サザンていいんやって小学生の時知って。それから小遣いで何買うってなった時、タイトルは忘れちゃったんですけど、近くのCDショップにサザンのCD買いに行ったのが初めてですね。

JSK: 「この音楽はカッコイイ音楽や」という意識で買い出したのはいつ頃ですか?

CH.0: 中2か中3くらいの時、僕の地元にあったのがTSUTAYA西院店で、そこの売り場に日本語ラップが並んでて、初めて買ったレコードが Olive Oilさんの "Vig Summer Comes Again 1978" でした。

JSK: いきなりそんな渋いの買ったんですね (笑)。 聴いてみてどうでしたか?

CH.0: 面出ししてあったんですよ。そんな渋いTSUTAYA後にも先にもなかなかないんじゃないですかね (笑) 。試聴もせずレコメンされるがままに買う、みたいな。なので、その当時は訳分かってなかったですね。なんやこれは!?みたいな。初期衝動というか。体感ですよね、ほんまに。頭では理解してないですけど、なんかヤバイっていう。

JSK: そういう買い方を周りの友達もしていたのですか?

CH.0: 同じ高校にDJをしていた2つ上の先輩がいたんですけど、多分先輩は体系的に音楽を聴いていたので、先輩からこれ聴いたら良いぞ、と教えてもらったりして体系的な聴き方をしていましたね。それが高1くらいの時ですかね。

JSK: Olive Oilを買った時は周りからの薦めもなく買ったのですか?

CH.0: そうですね。そのレコード買った翌日にレコードを学校に持っていって、友達にヤバイから聴いてみてって貸して。ヤバイとも分かってないんですけど多分 (笑) 。イケてるから聴いてみてよ、みたいな。それで、聴いてもらって返ってきた返答でなるほど、と。そこでそいつもヤバイってなって、やっぱ俺も間違ってなかったみたいな。ちょっと承認欲求じゃないですけど、そこで確かめ合うみたいなのはありましたね。

JSK: 心のどこかで「カッコイイ」って聴いていたところはあったんでしょうね?

CH.0: そうですね、多分自信がなかったんでしょうね。最初は。これがほんまにヤバイっていう審美眼みたいなのが高1くらいの時は確立できてないから、シェアすることでわかるというか。後にある一定の知識ができて新譜の情報も自然に入ってくる様になって。タワレコでニューリリースの張り紙とかあったじゃないですか?それでニューリリースを意識して新譜をチェックしながら、そこにひっかかる旧譜をチェックして後追いで聴いたりとかして。

JSK: じゃあ友達と曲聴かし合って情報交換しながら知識を培っていった感じですか?

CH.0: そうですね。めちゃめちゃアナログなやり方というか。サブスク以前の一番最後の世代かもしれませんね。

JSK: その流れからすると、意識して最初に聴いたのがHip Hopだったという事ですか?

CH.0: そうですね。遡ればお茶の間でも流れてくるようなRip SlymeとかTeriyaki Boyzとかになってくるんでしょうけど、その時からそれらはメジャーの音楽という認識があって。自分が今惹かれている音楽はどうやらそれとは違うぞっていう。(好きな音楽が) ちょっとアンダーグラウンドなんやろなっていう認識はあったというか。そういう音楽になんとなく惹かれていたというのはありましたね。

JSK: その当時Drip (Ch.0が所属していたHip Hop Crew) は結成されていたのですか?

CH.0: 後々一緒にやるメンバーもいましたけど、当時はまだ結成していなかったですね。その時Rapをやろうってなって、RapするにはDJ必要だしみたいな流れだったんですけど、初めは先輩に言われるがままにRapもしたりしてたんですよね。でも、学祭の時にリリック速攻飛ばして心ポッキーって折れて(笑)。それからはもうマイク握ってないですね。それでDJやろうかなと。

JSK: DJに興味持ち始めてから最初に行ったクラブ・イベントは?

CH.0: それこそPhennel Kolianderさんのイベント「JAPPCATS」ですね。知ってる曲がかかる事にシンプルにあがれるっていうのを覚えたのもその時期で。今まではイヤホン越しに自分一人で聴いていたのが、お客さんがいる中で同じ音楽を共有するっていうのを覚えたのもクラブでの現体験でしたね。

JSK:「JAPPCATS」に来てた頃はもうターンテーブルは持ってたのですか?

CH.0: まだ持ってなくて、まずCDJ買うのか、ターンテーブル買うのかっていう選択肢があった時期でもあったので、先輩の機材を触らせてもらったり、積極的に話聞きに行ったりして。それで結局ターンテーブルを買いましたね。昼飯代削って。結局それが今に繋がっていると思います。CDJ買ってたら全然違うDJになってたんじゃないかなって思います。

JSK: DJやりだしたのは何歳頃で、当時はどんなレコード買ってたのですか?

CH.0: 10代後半でDJ始めて、 基本Hip Hopの12”買ってましたね。固定観念みたいなのがあって、レコードでDJするなら90's Hip Hopしかないっしょっていうのは当時ありましたね。

JSK: Dripのイベントで、当時Fla$hBackSとか、各地のアングラの同世代をゲストで呼んだりして、意識的に同世代を集めてるイメージがありました。

CH.0: そうですね。 10代後半でDripを結成して、とにかく仲間探しをずっとしていましたね。今ほどHip Hopに多様性が認められていた時代では無かったので、その分メインストリームとアンダーグラウンドの間にある壁は分厚かった。だからこそ気の合う仲間を見つけるのには随分苦労した記憶がありますね。今の10代のHip Hopリスナーはきっとそういった世代感や音楽性の違いをそこまで意識していないと思うんですけど、当時は世代が近いDJやアーティストを特に意識していた時代だったかもしれませんね。

Vol.2 - DJスタイルの形成と出逢い - へ続く

Speaker:  CH.0  
Interviewer: Phennel Koliander   
Editor: Yukari BB (Jazzy Sport Kyoto)                                                                    

V.A. - Footsteps In My Bubble, Pt.1 Mixed By CH.0
Format: Mix CD
Cat#: JSKMIX-001
Release Date: Jazzy Sport Kyoto: 3月20日 / 一般発売: 4月1日
Distribution: Jazzy Sport Distribution 独占流通
Artwork Design: die (Jazzy Sport)


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