ジロリンタン備忘録211226
メリー・クリスマスはもう終わったのかな?
いや、西洋ではクリスマスは12日続くらしいよ。ということは、1月6日のエピファニー(公現祭、顕現日って何のこっちゃ?)まで続いて、それからクリスマス・トリーやクリスマスの飾り物を仕舞うらしい。だから、日本の正月と重なる日があるんだよね。
これは2021年最後の書き込みになるので、真面目に書くように努めるよ。今年の7月下旬に始めた note の書き込みだけど、まったく金にならなかったね。この5ヶ月のあいだで一番アクセスが多かったのが、10月10日頃の「松坂健が死んだ」という書き込みだった。アクセス二番よりも100以上も多かったんだぜ。
クリスマス・イヴやクリスマス・デイは百貨店の食料品売場は混んでいたが、26日は寒いせいか、比較的空いていたね。特に、この前の「ためしてガッテン!」でポテトサラダの特集をしていたせいか、午後4時頃にRF1では売り切れだった。こちらは酒の肴として毎日食べているのにね。番組で言っていたとおり、ビールにもスパークリングワインにも何でも合うよ。
この頃は、メールでクリスマス・カードや年賀状を送信しやすいせいか、うちに来るクリスマス・カードがめっきり減ったよ。10年前、20年前なら10枚以上届いていたのにねえ。うちでは、クリスマス・リース (wreath) をドアの外にぶら下げるぐらいかな。この疫病のせいで世間が暗くなってきて、あまりドンチャン騒ぎもしたくないしね。
この歳になると、クリスマスや正月は楽しくなくなるのかね。まあ、いいや。以前は一日中、クリスマス・ソングを歌うCDをかけてたが、最近は <TheJonathanStation.com> (ウィキペディアの自動翻訳では「ジョナサン駅」)でアメリカン・スタンダード曲を聴いているよ。そう、ジョナサン・シュウォーツの「ジョナサン」のことだ。日本では「シュワルツ」と間違った表記をしているが、耳のいい人なら「シュウォーツ」と聞こえるはずだ。That's Entertainmen の作曲家アーサー・シュウォーツの息子で、アメリカで初めてロック専門局の DJをWNEW-FMで務めたラジオ・パーソナリティーと呼ばれているらしい(そのときの裏話が面白い)。父親の歌を歌ったCDもある。そう10年ほどヴォーカリストをしていたときもあるのだ。本当は、ロックよりもアメリカン・スタンダード曲(特に、フランク・シナトラのディスコグラフィー)に詳しい。
残念ながら、日本ではほとんど無名である。しかし、ハリウッドに住んでいた生存中のドリス・デイも聞いていて、彼に電話をかけてきたという。アーカイヴでドリス・デイとのインタヴューが聴ける。ドリス・デイが故郷でアンディー・ウィリアムズと親しかったこと、汽車との衝突事故でもう少しで脚を切断するところだったという話は興味深い。
おれは1970年にニューヨークに住んでいたときに、日曜日の午前中にWNEW-AMで放送するジョナサン・シュウォーツ・ショウを聴いていた。この話は拙著『ニューヨークその日暮らし」(三修社絶版)に書いたと思う。ジョナサンはそのあと、WNYC-FM でアメリカン・スタンダード専門局のDJをしていたが、2017年に解雇されて、ネット・ラジオの<TheJonathanStation.com>でDJを始めた。そのことをおれが知ったのは、今年半ばで、その頃にはジョナサンはもう引退していた。もう83歳だもんな。しかし、ジョナサンの名前を冠したネット・ラジオ局は残っている。ときどき口を挟むDJの名前はボブ・ペリーで、この人もアメリカン・スタンダードの業界話をよく知っている。
おれが1970年代後半に、ジョナサンと電話で話したことがあった話とか、2017年にメールでクイズの答えを送った話は、またそのうちに。
では、年末年始は安全に健康に過ごしてくださいね。では、2022年にこの紙面でお会いしましょう。//
文章を売るのが商売なので、金銭的な支援をしてくださると嬉しいですが、noteの支援方法が面倒なので、ネット書店でガムシュー・プレス刊か扶桑社ブックス刊の木村二郎著書を購入していただくほうが簡単で、大いに助かります。もしくは、「スキ」をたくさんください。よろしくね。