見出し画像

sensitive過ぎるかもしれませんが···

1 

  もともと私は他人とは可能な限り、物理的、社会的に距離をおいておきたい方だった。
 歩いているときでさえ、半径2m以内に人がいると不快に感じる。だから、都市部では極力周囲を気にしないように歩いていた。カフェとかも人が多いし、漫喫も密閉感が苦痛なので(しかも臭いし)、比較的大きい本屋の奥の方の専門書コーナーなど本と自分だけになれる空間に避難したり、今はすっかり減ってしまったCD屋でひたすら試聴したりして気分転換していた。
 だから、田舎の、誰もいない場所を一人ふらふらと歩くのが好きだった。
 でも、ロックフェスや野球観戦には時々行った。基本一人で、純粋に生音や熱気を感じるためだけに行っていた。同じものを好きな人々の中に埋もれていることは、あまり苦痛ではなかったようだ。
 
 立場上、というか能力的に学会にある程度依存せざるを得ないので、総会や地方会などに現地参加しなければならなかった。
 その際は単身で会場に赴き、出来る限り中途半端な知り合いに声をかけられぬように注意を払っていた。もちろん知り合いに会えば普通に交流はするが、立ち話までに済ませていた。ましてや連れだって参加している人達の気が知れなかった。おかげで、講演やレクチャーに集中できた。ただ、ポスター発表の会場には、どうしても足が遠のいていた。
 だから、最近のweb参加制はありがたい。もっとも最近は「専門医維持に必要な単位を金で買っている感」は否めないけれど。
 
 当然、飲み会や会食は苦痛だった。若いころは、気心知れた人々とであれば問題なかったが、ここ数年はそれすらも苦痛だった。何より、狭い空間に他人どうしが向き合って密集している状況が我慢ならない。臭い。うるさい。何が悲しくて他人の面を見ながら、どうでもいい話に相槌を打ちながら、飯を食わねばならないのだ。飯の味に集中できないではないか。
 なので、近年は子供がいるという分かりやすい理由を利用して、極力参加しないようにしていた。
 
 当直室など、密閉された部屋に入らざるを得ない時は、まず最初に窓を全開にして空気を入れ換えるようにしていた。外気に触れていないと頭が重くなり鬱々としてしまうのだ。なぜ多くの人は窓を開けようとしないのか、ずっと不思議だった。外の空気の方がきれいなのに。空気を循環させた方が気持ちいいのに。

 つまり、もともと私にとって、いわゆる3密空間は不快そのものだった。これが解消された社会は、その点においては、私にとって快適だったのは間違いない。

2

 オンラインで済ますことができる会合が増えたのも、快適だった。顔を突き合わせ、空気感共有しなければならないのは、真剣勝負の時だけでいい。自分にとっては臨床の現場が、その時だ。
 空気感を共有することは大事だ。言語にも口調にも表情にも出ない感情は、間違いなくあるし、その感情が相互理解にとって結構大事なものだからだ。特に高齢者はそうだし、そして多分子供もそうだろう。長い付き合いの患者なら、わかりやすく表面に出してくれるから、オンライン診療は可能だろう。でも、それが何回も続くと、気づかぬうちに齟齬が生まれるように思う。
 だからオンライン診療の使用は限定的なケースに留めるべきだと考えている。
 でも、それ以外はオンラインでいい。

3 

  もともと仕事柄、手洗いうがいの習慣はあった。アルコール消毒は皮膚にダメージ与えるので最小限に抑えていたけれど。
 映画館などの寒くて空気の乾燥が強い場所では、喉が痛くなり息苦しくなるのでマスクを使用していた。
 冬のバスの中など暖房使用した密閉空間では、空気が淀んでいる感じがして、他人の匂いや息が気になる(というか他人の臭いがたまらなく不快なので)マスクをしていた。
 当然仕事柄、マスクはよく使用していた。
 もちろん、よほど寒くない限り屋外で使用するのはナンセンスの極みだが、晩秋~早春にかけて屋内でマスクを使用することは、自身の習慣として確立していた。
 なので、自分自身のことだけ考えるのならば、過剰な感染対策に対しても、あまり抵抗を感じずに合わせることができたのかもしれない。

  SARS CoV 2自体も、初期の中国のデータを見る限り、少なくとも本家のSARS CoVほど警戒する必要はないことは初期の頃から分かっていた。
 そもそも、昔から東アジアはコロナウイルスと共生してたのだから、そんなに恐れる必要はないだろう、と思っていた。
 なので、個人的にはCOVID 19に恐怖を感じたことは、この3年間一度もなかった。もし肺炎になってしまったら、よほど暴露時に体調が悪かったのだろうと考えるし、もし重症化したら、それが運命だった、とあきらめるしかないと思っていた。
 もとも仕事柄、死に向かう方々と接することも、その方々を看取ることも日常的に行っていたので、死は身近なものだった。我が身に置き換えて自身や近親者の最期について思いを馳せる機会も多かった。
 ワクチン接種も、他者の目を気にしなければ、拒否することに関しては特に支障はない立場だった。まあ、これは本来であれば、立場に関わらず当たり前のことだったのだが。

4

 このように考えると、私一人だけで行動し生きていくことだけを考えれば、自分がこの3年間に不快感や苦痛を感じる理由は少なく、むしろ以前より居心地がいいはずだった。
 
 しかしこの3年間、私は非常に居心地が悪かった。
 今まで信頼していた人々の行動や思考に対して、疑問が尽きなかった。憤りを感じることがあまりにも多かった。
 困窮してゆく方々の姿を見るのが辛かった。
 児童や学生から、「教育を受ける権利」や「健康に育成される権利」を平気で剥奪する大人たちの姿は、想像を絶していた。
 そして、人々の困窮に同業者が深く関わり、まさに医原性コロナ対策禍を産み出し続けていた姿に、私の価値観は大きく揺らがされた。そこにワクチン禍という重罪まで加わってしまった。
 もう少し鈍感になるべきなのかもしれないが、私にとってはそれがもっとも難しい。学びを深める良い機会にはなったけれど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?