ひとり目を瞑る3

25年ぶりだけど可愛い女の子を描きたいという告白

3年前の誕生日に外国の色鉛筆を贈ってくれたのは、遠く離れて暮らす30年来の親友だった。

「わたしはやっぱりリカさんの絵が好きだから」

絵なんてもう20年以上描いてなかった。


子ども時代に夢中で描いていた落書きは高校受験のさなかにやめてしまった。しかしわたしの親友は、大昔にわたしが描いた落書きをまだ覚えていてくれて、しかも未だ好きだと言ってくれたのだ。

心が震えたわたしは受け取った色鉛筆で再び絵を始めたかというと、そうではない。親友の言葉には驚いたし嬉しかったが、だからといってわたしの中に描きたい気持ちが湧いてきたわけではなかった。

そのときはまだ。


小学時代の特別な水彩画体験

時は遡り小学5年生のころ、わたしは2年間だけ近所の絵画教室にかよった。体系やテクニックを習得するような絵画教室ではなく、週に一度先生の家に絵を描きに行くだけの習いごと。

教えてくれるのは地元で有名な画家のおばあちゃん先生で、同時刻に習う生徒は1人か2人という少人数制だった。縁あってツテで入ることができたのだけど、わたしは頭の中がフワフワした子どもだったのでその有り難みを理解していなかったと思う。

さらに輪をかけてわたしはやや不真面目な面も持ち合わせており、その教室においてもあまり褒められない態度をとっていた。絵の習いごとなのにほとんどなにも描かずに帰る日が少なからずあった。

うららかな陽気の日には縁側に座布団を持ち出し、画用紙に屈みこんで描いているフリをしながら終始ウトウト昼寝をした。先生が時折出してくれるスーパーでは見たことのないような綺麗な包紙のお菓子は、半分以上ひとりでたいらげた。

わたしがそのように傍若無人にふるまい、あげくお月謝を無駄にしていたことを、母は幾年経た今も知らない。

それどころか母は、当時わたしが半ば投げやりに仕上げた「柿がゴロゴロ転がった絵」をいたく気に入り額に入れ、その後10数年に渡ってリビングに飾っていた。普通の水彩絵の具で描いたその絵は年を経るにつれ明らかに色が抜けて別物に変化してしまったのだけど、母は何年経っても満足気に見ていた。

母にとって絵といえばわたし、わたしといえば絵であり、わたしを絵の習いごとにかよわせたのはしてやったりの大手柄と思っていたに違いない。

じつは母のその考えは当たらずとも遠からずで、わたし自身にとっても、その習いごとは間違いなく良い体験だったと言える。

おばあちゃん先生の家で過ごす時間は特別だった。

門を入るとそこには庭の木々が伸び伸び生きていて、足元には季節の花が咲いていた。春の後半に咲いた青紫色の額紫陽花には子どもながらに目を奪われた。

教室に使われていた離れのアトリエは古い佇まいで生活感がなく、題材用のアンティークな陶磁器やフランス人形は始めからそこに置かれるために存在しているかのように部屋に馴染んでいた。

時の止まった場所。空気の色が違う場所。小学生のわたしが生きる日常とはまったく別の空間。

離れの掃き出し窓はいつも開かれていて、靴を脱いで縁側に上がると「リカちゃんよく来たね、いらっしゃい」と、北欧テキスタイルのようなデザインのスモックを着たおばあちゃん先生が迎えてくれるのだった。

なにを描いてもいい。なにで描いてもいい。何日かかってもいい。時々おばあちゃん先生がアドバイスをくれて、そうして1枚の絵ができあがっていく。

絵とはいつでもどこでもどんなふうにでも描いていいし、誰もが何かにとらわれることなく自由に描くもの。

ということを、わたしはおばあちゃん先生から言葉ではなく体験として学んだ。わたしが人生で一番達観していた時代だった。


最後は落書きすら描かなくなった中学時代

中学校に上がるのを機にその絵画教室からは離れたが、習わずとも絵は描きたくなった時に自ずと描くものだという信念がわたしにはあった。

中学ではあえて美術部は選ばなかった。部活という謎の強制活動と個々人の創作活動とが相反するように思え躊躇したからだ。

わたしは女子バスケット部に入部した。大人気を博していたスラムダンクの影響が知らず知らずあったろう。

大失敗だった。

体力のないわたしに運動は向いておらず、体も心も言葉どおり死ぬ思いをした。平気を装って3年間まっとうしたけど二度と戻りたくない。

描きたくなったらいつでも描くはずだった絵はついに描くことはなかった。自宅で絵の具を広げる場面など一度もなかった。

わたしにとって絵は、絵を描く環境下に身を置いてはじめて描きたくなるものだと思い知らされた。今こそ心から思う。あのとき美術部に入っていたらどんなに楽しい中学生活だっただろうかと。

水彩画を描かなくなったわたしは、授業中ノートに落書きをする中学生になっていた。

描いていたのはいつも、可愛い女の子の顔。漫画の登場人物でもアニメキャラでもなく、ただ思いつくまま女の子を描き続ける日々。最終的には唇だけを描くようになった。わけがわからない。

そしてそのうち、わたしはその落書きすら描かなくなった。

子ども時代の趣味は過去になった。


40才手前にして再び落書きしたくなる

水彩画も落書きも捨て置いてかれこれ25年。まだ記憶に新しい先々月、それは突然沸き立った。頭の片隅にいつも少しだけ、あの色鉛筆の存在があったからかもしれない。

『可愛い女の子の絵を描きたい』

あの中学のころノートの片隅に描いては消していたような女の子を描きたくなっていた。描きたいものが水彩画でなかったところが我ながら惜しい。

しかし瞬時に、25年間培ってきたわたしの人格が待ったをかける。

40歳も目前でいまさら落書きを?おかしくない?

・・・

・・・

・・・

「リカさんの絵が好き」

頭の中で親友が言う。

当時なにひとつ描いていなかったわたしに現在進行形でそう言ってくれた親友。

3年前にたった一度耳にしたそのフレーズは、まさにいま迷えるわたしを肯定するように思えた。

認めてくれる人がいる。受けいれてくれる人がいる。待っていてくれる人がいる。そのなんと心強いことか。

同時に、小学生のわたしもおばさんになった自分自身の背中を押す。

絵はいつでもどこでも描きたいときに自由に描くもの。おばあちゃん先生から教わったこと。

ああ、ついにわたしにその時が来たのだ。

この波に乗るしかない。


紙からスマホアプリへ

わたしは100円ショップで罫線のないリングノートを1冊買った。鉛筆は次女のストックから6Bを1本拝借した。

いきなり思うようには描けないだろうと予想はしていたものの、まったく手が動かなかったのには驚いた。可愛い女の子に必須の柔らかい線が引けなかった。まあでも想定内。そのうち中学生の自分が降りてくるだろう。そう思ってわたしは意外と前向きだった。

ところが障壁というものは思いがけないところに潜んでいる。

家族に内緒で描いている以上、リングノートの保管には慎重にならざるを得ない。

でも一体、この家の中のどこに?

簡単には見つかることのない場所にしまったとしても、例えばもしも明日わたしが交通事故で突然死したら?その後の遺品整理でこのリングノートが発見されたら?

めくってもめくっても、さまざまな女の子の顔と唇ばかりが描かれた紙、紙、紙。意味不明すぎてかなり気持ち悪い。

かと言ってこの落書きのことを夫や娘にいきなり打ち明ける気にもなれない。

わたしは自分が危険な地雷を製造してしまったと気がついた。

紙はだめだ。

わたしはリングノートをスーパーの白いビニール袋に厳重にくるんで、キッチンの蓋つきゴミ箱の奥底に沈めた。

隠したのではなくゴミとして、捨てた。

さて、紙以外となるとわたしにはあとはスマホしかない。iPhoneのメモに文字を直接手書きするように、もしかしたら絵に特化したアプリがあるかもしれない。

APP Storeを開く。

なんと普通にあった。

しかも思っていたものの遥か上空を行く高度な機能がそろっていて、逆にちょっと戸惑うくらいのものが無料でダウンロードできた。

なんなんだ。

指でいろいろな線が引ける。色も塗れる。このアプリひとつあれば、紙も鉛筆も絵の具も色鉛筆もいらないのか。

すごいなあ。

おかげさまで、わたしの女の子描きたい欲は無事継続することができた。レイヤーとはなんぞやというスタートだった。


というわけでnoteに投稿しています

そこから現在までの2か月間、ぼちぼちとイラスト(と呼べるかわからないようなもの)を描いている。コツを掴むのはなかなか難しい。

最初はアプリの練習も兼ねて、我が家の子猫たちと出会ったときのストーリーを絵と文で書いた。並行して女の子の絵も描いたけど、可愛いと思えるほどには描けなかった。線が難しい。試しに女の子以外も描いてみた。さらに悩みが深くなった。自業自得。

それでもなんとか形にしたものが約20個できた。

イラストはnoteのヘッダに後々使えるようにとそのサイズ比にしていたので、みんなのフォトギャラリーにダメもとでアップしてみた。驚くことに使ってくれる人がいた。小躍りする嬉しさだった。

一方で、イラスト経験値ゼロゆえの心配がある。

それはわたしが基本のきの字をすっとばしているに違いなく、でも一体なにをどう間違っているかがわからないことだ。

そのくせ加齢による無鉄砲さから、わからないけどとりあえず描いちゃえというアクションをとってしまう。あまつさえnoteにアップすらしてしまう。

とんでもなくヘンテコでトンチンカンなことをしでかしている気がしてしょうがなく、ハイリスク極まりない。

それでも

描きたい絵を描いているという肯定感は、わたしをこれまでになく満たしつつあるのだ。

さあ、今日はどんな女の子を描こうか。



ちなみにあの色鉛筆は現在

3年の時を越えてわたしを肯定してくれた親友に、再び描き始めたことはまだ伝えていない。ちょっと早い気がしている。

中学生のわたしがOKを出したら、その時にはnoteのアドレスをメールしよう。

3年間手付かずだった色鉛筆は、今春美術部に入部した長女に「大切に使ってね」と現在貸し出している。


少年少女かき氷



(このテキスト下書き保存から10日後の追記)

勢いで描いたイラスト20個は数日前、急にとてつもなく恥ずかしいような気がして仕方なくなり、消してしまった。

スキをくれていた方には本当に申し訳ない。

しまった、せっかく使ってくださった記事のヘッダ画像まで無断で消してしまった、と思ったけどそこは大丈夫でホッとした。

急に恥ずかしくなる現象、あるあるなのか、わたしだけなのか。この文章ものちの恥ずかしい存在をわざわざ作っているようで、結果もう10日も下書きのままだ。

どうしたものか。



(翌日、えいやっと投稿ボタンを押すことにしました)



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