スロウハイツの神様感想文 

 これを初めて読んだのは、中学二年生の時。中学二年の時の参観日で、尊敬する人を発表した。同じクラスの女子は参観日ということもあって、みんな「尊敬する人は母です」と言っていた。そんな中で私は、この小説の赤羽環を選んだ。環は芯が強くて努力家で、頭が良くて。闇を知りながら、それでも真っ直ぐに夢を追いかける。そんな環のような人になりたいと発表した。小説を日頃から読んでいる同級生なんてとても少なかったし、尊敬する人が母親以外でみんなと違うところが、少しかっこいいと思っていた。それから読み返すことなく、自分の中の環は強くてかっこいい印象のまま大学二年を迎え、先日読み返した。環は確かに変わらずかっこよかった。でも、今は環のような人にはなりたくない。ちょっとめんどくさい。環が私の友達だったら、少し距離を置きたいと思うだろう。しかし、当時の私が環に憧れるのも、なんとなくわかる。涙は商売道具だの、弱さは見せないだの、クラスで少し浮いていた当時の私が好きそうなことばかり言っている。スロウハイツの中では尊敬される人だろうけれど、学校などでは母親のことがなくても浮きそうだ。それほどまでに、彼女は夢に真剣。芦田愛菜が環に会いたいというのを見たけど、彼女もまだ若いなと思ってしまう私は歳を取り、汚れちゃったなと思う。

 辻村深月がずっとアピールしていた違和感、感じてはいたけど、まさか環がコーキの天使ちゃんだとは思わなかった。そして、それにコウちゃんが気づいていたということも。本当にコウちゃんは頭がいいし優しい。ラストまで環のことが好きだとか、気にかけているだとか、全くそういうのを感じさせない、正義にだって気づかれてないのはすごい。
 コウちゃんの小説が原因で集団自殺が起きたと叩かれ、それで書く気が起きずに部屋にずっとこもっている場面でコウちゃんに感情移入してしまう。それぐらい引き込まれる描写だった。それから、ストーカーみたいだと思いながらも環に会いに行き、環を笑顔にさせたいと思うようになる。図書館に本を寄贈するときのコウちゃんも好きだ。ラストまであまり感情を表に出さないような人が、大汗かきながら人と話したりだとか、環が新しく入ったコウちゃんの小説を見たときに、そっと出て行くところとか。プラズマテレビをなんの躊躇もなく買って、新品だと変に思われるからって自分でテレビに傷つけて、でも傷がつきすぎてテレビに向かって謝って。空き箱が必要だからってハイツ・オブ・オズの高級ケーキを一日三食ご飯がわりにして。このシーンまで、コウちゃんは自分の小説の登場人物と執筆にしか興味がない人だと思っていた。でもこのシーンを読んで、これら以外にも心をとらわれたものがあるんだ、一生懸命になれることがあったんだって思ったら愛おしさがこみ上げてきて、ああ、この人もちゃんと「人」なんだって、そう思ったら私の中の好感度がぐっと上がった。そして、個人的に一番好きなシーンは、環と桃花にハイツ・オブ・オズのケーキをあげて、そのあと警察官に追われて道路に寝転がるところ。大人の男性がサンタの格好をして全力で警察から逃げて、警察に追われなくなったところで道路に転んで大笑いする。私も清々しい気持ちになった。一緒に大声で笑いたくなった。第三者の視点から思ったことは「コウちゃん、よかった、よく頑張った。環、ありがとう」だ。ラストだけじゃなくて、他の部分でもコウちゃん視点で書いてほしかったと思った。しかし、そうなるとラストでこんな感動はないんだろうなとも思う。

 前半を読んでいると、記憶にあった環の印象は違って、その変化がマイナスだったから好きな本が少なくなると寂しいと思っていたが、ラストにコウちゃんの良さに気づけてさらに好きになった。十四歳の時は環のことが好きで、十九歳の今はコウちゃんのことが好きで。二十四歳になったとき、もう一度読み返したらどう思うのだろう。その時には、意外にも黒木さんのことが一番理解できるようになっているかもしれない。そう思ったらすごくおかしい。

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