かがみの孤城感想文

#かがみの孤城感想文

 辻村深月は抜けない。歳を取って経験を獲得しても、現実よりこの小説の方が楽しく、惹きつけられる。この小説に引きとめられてしまった、そう思わせる小説だった。
 でも、これは読んでいる時に思ったことで、読み終わったら違うことを思っていた。

 中学生の頃、辻村深月の小説にハマり、ほとんどの本を読んだ。だから「かがみの孤城」が発売されて本屋大賞を受賞したと知った日から、早く読みたいと思った。発売当時は高校生だったが、バイトも禁止だったし小遣いもなかったから買えなかった。田舎の高校だからかわからないが、新刊はなかなか入らないし、近くに公立図書館もなかった。本屋で著名人がこの本を読んだ感想が載ったポップや帯を見る度に、羨ましい、早く文庫化してくれと思っていた。そしてついに、文庫化されて即購入。読み終わって後悔した。高校生の時に親にねだってハードカバーを買ってもらえばよかった。もっと早く出会いたかった。というか「辻村さん、もっと早く書いといてくれよ」と思った。

 小学6年のころ、私はこころみたいに仲間外れにされたことがある。急にみんな、私を避けた。きっかけなんてわからない、なぜ私が、と何度も思った。でも、身体的な攻撃も、わかりやすくバレやすいいじめもなかったし、中学校にあがるまでの辛抱だ、あと数ヶ月すれば新しい生活が待っていると期待して、休まず頑張って過ごした。しかし、私の通った中学校は雪科第五中と違い、想像していた規模より大きくなかった。そのため友達関係もあまりリセットされることがなかった。親に心配されたくなかったから学校には通った。休み時間は誰とも話さず一人で自分の机にいて、「ぼっち」なんだと思われるのは嫌だったから小説を読んだ。自分から「ぼっちになりたい人」になった。それでもやっぱり寂しかった。小説を読んでも、感想を共有できる相手がいない。「ぼっちになりたい人」には誰も寄って来ない。

 この本を読んで、私はこころが羨ましいと思った。私よりつらい経験をしているけれど、城がある環境、その世界での友達の存在、やさしさ、共感してくれて尊重してくれる心、これらがあることが本当に羨ましい。もし、中学時代に私がこの本を読んでいたら、私自身が8人目(こうなると7匹の子ヤギではなくなるが)としてこの作品にのめり込んでいただろう。個々の悩みは違うけれど、それでも私一人だけが苦しい思いをしているんじゃないと気づき、不安は少なくなりそうだ。不安は、こんな状況は自分一人だけかもしれない、普通じゃないのかもしれないという考えから沸き起こる感情だと思っている。その悩みを共有しなくても、互いに認知できる環境が私にも欲しかった。最後にアキがルールを守らなかったが、私も別れが近づくとルールを破ってしまうかもしれない。

 中学生の時、「スロウハイツの神様」を読んだ。環も私より何十倍もつらいことがあったけれど、コウちゃんの小説を読みたい一心で自殺をやめる。私も同じだった。自殺は考えたことがないけれど、本を読むために、図書館で本を借りるために学校に行った。当時の私の城は、小説の中にあった。そして、期限のない小説の世界に私は何年も通っている。
 私の好きな人は、冬にはクリスマスがないと、とてもじゃないが暗すぎてやっていけないと言った。この言葉には中学生の頃に出会ったのだが、私は小説があればやっていけると思った。イルミネーションの美しさに気づかないのは損をしているのかもしれないけど、小説の中にある暖かさに気づける私は幸せだと思う。おそらく、こころたちにとってのイルミネーションは、鏡の向こうの城だろう。

 辻村深月は抜けない。そう思いたい。でも、いつまでも小説という城の中にとどまってはいけないということも、かがみの孤城を読んで思った。こころたちも、強制的ではあるが、城から現実世界、学校生活へと戻ったのだ。私も甘えてはいけない。コロナの関係もあるが、大学に入って仲のいい友達ができないし、初めての一人暮らしで、孤独を感じている。中学生の頃から、自分から人に話しかけることを避けてきているから、なかなか友達も増えない。でも、この7人のように、1人でも頑張って同じ講義を選択している人に話しかけてみようと思う。読書は趣味として続ける。でも、たまに、本当にたまに、城に戻ってきちゃうかもしれないけど、その時はもう一度かがみの孤城を読んで、勇気をもらおう。

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