生き延びた理由で死にたくなってた
彼ら彼女らと同じことが出来ないのは仕方ないし、彼ら彼女らのその出来ることが唯一だから評価されてるわけで、だからそこに落ち込む必要はなくて、じゃあ何で落ち込むかって自分にできることが思いつかないからなんだよ。悲しさや辛さに払ってきた時間や労力を誰のためにも使えないならお金にもならなくて、称賛にもならなくて、じゃあどこで取り戻せばいいのって。この先、取り戻せることなんてないのかもしれない。ただ払ってしまった過去があって、あえて言うなら「生き延びる」ということに変わったのかもしれない。生きてることを喜べないから得たものとして感じられないけど。だってこれからも辛いじゃん。辛いのわかってて、辛さにただ払い続けるのわかってて、生きてることをありがとうと思えるだろうか。本心でほんの少しくらい思ってるんだろうけどね。生きてることを喜びたいな。何のお金にも称賛にも誰かのためにもならないなら何のために辛かったんだ、何のために辛さを耐えたんだ、何のためにこれからも辛さを耐えるんだって思ったけど。自分がこれから先も楽しいと思える可能性を無くさないために死ななかったんじゃないかな。そのために耐えたんじゃないかな。辛さを与えられたのはちょっとやっぱり理不尽だと思うけど、それは脳と身体と社会と時代との相性で、その運は少し悪かったけど他の運が良かったりはあったから。得られるかもわからない大層なものを理由に生きるのは疲れたな。マイナスの感情はとても強い力になるけどその反面で思考の偏りを生むし、上手くいかない時の反動が大きい。この先報われるかどうかはわからないなんてこと、ずっと知ってるもの。報われる瞬間を信じているけど、でもそんな瞬間が訪れない可能性も知っている。知ってるからずっと不安なんだよ。報われるまでずっと不安。報われる時が来るかなんてわからないのに、また払い続けてる。やめたいね。生きてるだけでありがとうなんてやっぱりまだ思えないけど、楽しくなれる瞬間を期待して生きることを選び取ったなら楽しくなれる瞬間の幅を広げて精算していきたいな。その方が結果欲しいものに近づけそうだし、今楽しいことも嬉しいこともいくつかあるのは事実だから。
今流れている涙は何の涙かな。悔しくて泣いてるのかな。解放されて泣いてるのかな。嬉しくはないし特別悔しくもないけれど、自分の側にあったものを手放すような、多分そんな寂しさ。わだかまりごと、流れていいよ。そんなすぐに心入れ替わらないけど、結局なんかいい感じってなりたいし、報われない辛さに支払いを続けるのは苦しいだけだとわかったから。「それ無駄じゃない?」って思いたくないのに思っちゃったからね。過去は無駄じゃないけど未来は無駄だと思っていいかもね。あーあ。生き延びたこと褒めたいな。ありがとうって思いたいな。「生きててよかった」なんて絶対一生思ってやらないって思ってたけど。報われなくても向き合った時間や感情が大切ではあるから。なんだかんだこうやって文章になるし、生き方とか視野とか価値観とかわからないけどそういうのも自分の見えなかった域に拡張してる感じするし、それは結構好きだから。報われないかもしれないなら、自分で報ってあげたいな。すーっごい難しいだろうけど。ちょっとずつね。んなことできるかーー!って思う時もあるだろうけどね。
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