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生い立ち#1から続きます。

知的障害のあった姉が亡くなったのは、私が小学3年生、兄が19歳でした。

家族の死を乗り越えて・・・家族の絆が深まるってよくありそうなストーリーですが、我が家は全くでした(笑)

父は、やはり仕事の忙しい人でしたので、帰ってくるのは23時とか。
朝は、父の髭剃りの音と共に
「RIO~起きやー」と起こされていたので、髭剃りの音が不快で仕方なかったです!
父に会うのは平日の朝と、土日もいてたような・・・←存在薄い

兄は、専門学校卒業後、仕事を始めますが、続かなくて転職を繰り返します。パチンコにはまってしまい、借金もしていたようです。
消費者金融から借り、祖母にオレオレ詐欺みたいな電話をかけ、お金を出させていたらしい。
いつも母と兄はお金のこと、仕事のことで揉めていたので、私は兄が大嫌いでした。
母の財布からお金を盗んでいるところも度々見たし、私が逆に兄の部屋にこっそり行って、母のお金を取り返して、財布に戻したなんてこともありました。

母はそんな兄でも我が子だから、なんとか更生させようと必死で、向き合っていましたが、父は熱血おやじキャラではないので、あまり兄に関わりたくないようでした。
母はそんな父のことを「あの人は、臭いものに蓋をする人やから!」と怒っていました。その発言は、合ってるような、そうでもないような気もします。

家族に向き合おうとする母、あまり関わりたくない父、どうしようもない兄、そして私。

母とは仲が良かったけど、私自身、家族の温かみをあまり感じないで育ってきたような気がします。
でも学校では明るかったし、いじめられたりしたわけではなく、習い事の英語や合唱団にも楽しく通わせてもらっていました。

私は母が大好きだったので、亡くなった姉の分や、兄の分まで、母が喜んでくれるような人間にならなきゃ!とずっと思っていたように思います。

というと、母にコントロールされた子供みたいな印象ですが、全くそんなことはないです(笑)

末っ子だったからかな、勉強しなさいを言われたこともないし、うるさくガミガミ言われたこともないです。

うるさく言われたことと言えば、私が15歳の時に19歳の銀髪の彼氏を家に連れてきたときでしょうか(笑)

今、考えるとそりゃ言われるわ!ですよね



なんだか暗い生い立ち#1と#2になってしまいましたが、ここからは上向きにいきますよ~


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