先日の不適切発言自粛騒動に思うこと。

たこやきレインボーという関西を拠点にしたアイドルグループのお話し。

セレッソ大阪の公式サポーターとして活動しているのを幾たびか見かけたことがあるので、サッカーに関係ある事として自分が少し前から感じている事を書こうと思う。

今回の騒動、とある配信コンテンツにてメンバーの一人が「魑魅魍魎」の読みがわからず というよりは別の言葉を意味に充てて認識していたことが発端のようで、後日謝罪の上活動自粛する事態になったそう。

発した言葉は えたひにん 。 漢字で書くと穢多非人。
穢れ(汚れ)多く、人に非ず。 我々の時代は教科書にも堂々と載っていたが、今となってはれっきとした「差別用語」である。

メディアに出る以上こういった「失言」が許されないのは確かではあるものの、如何ともし難い窮屈な思いもある。

自分はこの発言が良いとか悪いとか、事後対応がどうとか には別に興味がない。

この騒動の真偽や詳細を精査できない現状で、思ったことは二つ。

本人が「認識違い」で発した言葉なのか、
それとも言葉の性質を理解した上で発した言葉なのか。

後者だと確かにそれはタチが悪い。
認識や考え方を改めるべきだし、この対応もやむなし と思う。

しかし、前者の場合。
本当に読み間違い 認識違いだった場合の事を考えたい。

言葉の読み書き。 今や手紙のやり取りすらレガシーと言われる時代。 それによる弊害なのかな と感じる。

スマホの普及、今や国民の数を上回る台数が普及している。 2019年4月の時点のデータで188% 実に一人2台持っていても不思議ではないというデータ。
かくいう自分も、こういうコンテンツを利用するにあたって タブレットなどを含めると数台所有している状態。

そこに打ち込む文字。自分の脳内にある思考を具現化した情報である。

あやふやに覚えた言葉でも予測変換なる便利な機能も兼ね備えている。

でもそれに頼りすぎるあまり、漢字を紙に書けない 読めない という人は右肩上がりに増えている気がする。

書き は正解の文字と照らし合わせれば間違いに気づくことができる。 一人で完結できる。

でも、読みはそうはいかない。 人と話す 人の話を聞く という行動をしないと間違いに気づけないまま な事が多々ある。 一人ではどうしようもない部分で、間違えたまま 問題に直面するまでそのまま になる。

相手が話す言葉 ワードの違和感から 「ん?◯◯の事を言っているのかな?」 と思える事も、音だからこそ気付きやすいのである。

ニュアンスで新しい言語が生まれやすい日本語文化。
時代を遡れば電気というワードも「その時代の流行」という意味合いで使われていた事もある。
元々ある「電気」という言葉の意味が変容した形だが、現代は違う。

オノマトペ的な言葉が最新ワードとして文化する。

キュンです や 少し前なら激おこぷんぷんまる など。

より分かりやすい言葉が特化するのは 漢字や読み書きにうるさい潮流からの逃避か、
それとも受け手が相手の言葉に耳を傾けなくなったからこそ なのか。

このメンバーがこういう経緯で間違えた とは断定しないが、この年代ならさもありなん な事例なんだろうな と感じる。

今時の 言葉に関するトラブル なんだと思う。


そんな事を改めて感じた今回の騒動でした。

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