高階杞一ポートレート

佐藤弓生の「近・現代詩おぼえがき」第5回:高階杞一『夜にいっぱいやってくる』評

夜にいっぱいといえば、あれだあれ。おばけ。おばけの絵本をひらく気分で、五つのパートから成る表題作を読んでみたら、たしかに五つの奇妙な光景が部分的連鎖をなしてはいるものの、おばけの楽しさからは少々遠かった。そこには、口調はソフトでも、いわくいいがたい不安や不快が描かれていた。〈床に転がっている指を/一つ一つ拾い集めている椅子がいる//「どうするの そんなもの」/「二十本集めたら一人ができる」〉(5「指」部分)といった調子。慣用表現「豚のほうがまし」「どこの馬の骨」に召喚されたかのように、もの言う豚や馬が嫌な感じで座敷にあがりこんでいるシーンなど、なかなか黒い。

しかし本書全体から受けるのは、黒さにもまして、どうしようもなく透明な悪夢の印象である。

  去年こどもが死んだ
  その二ヶ月後に
  実家で飼っていた犬が病気で死んだ
  今年は妻と別れた
   (中略)
  どんどん家族が減っていく
   (中略)
  いつかぼくの
  たったひとり
  この世から消滅していく日を想う  (「消滅」部分)

もの言う豚や馬も、現実のできごとも、人がみる悪夢である。悪夢はつねに悲しいと、遅れて気づく。

この作家の、遅れて気づかされるなにか、にいろいろ触れてみたいかたには、歌人にはおなじみ砂子屋書房刊の文庫『高階杞一詩集』も、おすすめです。


初出:「かばん」2011年12月号


『夜にいっぱいやってくる』(思潮社)
http://toburin.cart.fc2.com/ca2/25/

『高階杞一詩集』(砂子屋書房)
http://sunagoya.com/shop/products/detail.php?product_id=34


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