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私のお題目はインド産

1989年、平成元年、27歳の時、インド・コルカタ市にある、コルカタ大学インド古代文化史学部博士コースに留学しました。研究対象は「ヒンドゥ教の石造寺院建築」で、オディッシャ州の「北方シカーラ様式」の伝統的建造物を主たる調査対象としていました。

10月23日深夜、薄暗いコルカタ空港に到着し、迎えに来て下さった車でボーバザールにある「ベンガル佛教協会」の宿舎に入りました。「ベンガル佛教協会」は、13世紀以降もバングラデシュの山岳地に生き延びたインド仏教を代々継承してきたボルワ族の方々が建てたお寺。密教化していたのを、160年ほど前にテーラワーダ佛教として再出発した歴史があります。私をインドに導いてくださった(故)我妻和男先生がたいへん懇意にしているお寺で、当時の僧院長ダルマパーラ・マハテーラ師は、コルカタ大学のパーリ語の先生をされておられました。

翌日、在留邦人登録に日本総領事館に行くと、その時対応してくれた石井さんが「今日、街の南にある日本寺に、留学生が集まりますよ、良ければいっしょに行きますか?」と誘ってくれました。

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午後の遅い時間、レークロードにある「日本山妙法寺甲谷陀(コルカタ=カルカッタ)道場」に集まって来たのは、インド音楽を修業している人やベンガル語を勉強している日本人でした。お茶を飲みながら、食べ物のこと、コルカタの街のこと、何事も手続きが大変だという話など長々とお喋りをしました。お寺の篠崎行攝上人はとても穏やかな方で、終始ニコニコされ、じっと皆さんが話していることを聞いておられました。5時ちょっと前にスッと立ち上がって本堂に行かれ、夕方の勤行を始められました。ドーン、ドーンという大太鼓の音と共に「南無妙法蓮華経」と唱えます。それまですごく静かだったお上人が、太鼓の音と共に大声でお題目を唱え、そのお声は堂内に鳴り響いていました。
私は好奇心満々で、次々にやって来る地元の参詣の方々の邪魔にならない様に本堂の後ろに座り、大太鼓の振動と、お堂に広がるお上人の大声に心を委ねました。

非常によく響くお堂の心地良さと、人々の動きの快活さが新鮮で、気づくと私も「南無妙法蓮華経」と声を出しておりました。

人生はまさに偶然の集積。やっとのことでインドに留学することが出来ずいぶん待たされたなと思いましたが、辿り着いた翌日お題目に出会いました。

その後のインド生活の中で、様々な場面でフイッと口に出てくるお題目に、何度も助けられたと感じることがありました。インドに留学した私の研究対象が仏教ではなく「ヒンドゥ教の石造寺院建築」だったのも、今思うと大変良かったと思います。3年ほど滞在したコルカタでの住まいは、最初はテーラワーダ佛教の「ベンガル佛教協会」、その後は近代ヒンドゥ教改革派の「ラーマクリシュナ・ミッション(インターナショナルホステル)」でした。様々な宗教宗派と関わっていく事になる中で、「お題目」はとても簡便で力強く、私自身の拠りどころとなっていきました。

しかしまさか、この後、この日本山妙法寺甲谷陀(コルカタ)道場に止住する事になり、そして7年後に出家して僧侶になるという、今振り返ってもびっくりする人生の大転換が訪れることになる、とは思ってもおりませんでした。

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