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「参宮橋」について

今は小田急線にかかる橋になっている参宮橋ですが、いつからかかっていたのか、そのときは何と呼ばれていたのか、という問題には諸説ある風ですので、私も考えてみたいと思いました。

かつて、小田急線沿いには新宿御苑を源流とする渋谷川の支流である河骨川が流れていたようです。

河骨川の流路については、諸説あって、以下の引用とは微妙に異なる流路が示されております。川はなくちょっとした谷だったのかもしれません。

国会図書館デジタルコレクションで検索すると、大正9年に、庭園協会編による『明治神宮』という本があり、そこに以下のような文章がみえます。

参拝道路は自ら二区に分かれて居って、第一区は青山通りより澁谷川に架設してある参宮橋に至る区間で之れは青山通りより水平から三十分の一までの勾配で入り込んで居る、参宮橋は幅員二十間長三間の鉄筋混凝土の床牀橋にて橋面は道路と同じく礫面となっている、高欄は簡素にして洒麗なる鋳鉄製…

p.123

大正9年というと1920年で、明治神宮の建造は1915年からはじめられていたので、河骨川に西参道の延長としてかけられた橋で、明治神宮とともに建造されたといえるのではないでしょうか。

1920 明治神宮内苑の完成
1920 参宮橋架設
→西参道成立
1927 小田急線参宮橋駅できる
1964 河骨川の暗渠化
→小田急線の線路を超える橋とだけみえる

そんな風な感じなんですかねえ。

実際に見に行くと、どこがどう小川だったのかは、判然とせず、小田急の線路の上を橋を渡した、風に見えます。けれども、引用の記述を信じると、先に川があって、そこに橋を渡して、その後小田急の掘削工事があったように見えます。

その辺の1920(大正9)~1927(昭和2)年の、このあたりの資料をちゃんとみないといけないですね。

ひとまずは、それだけ。




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