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桐島聡の闇を暴く。

桐島聡容疑者として指名手配されていた男が死亡した。彼は49年間もの間、逃亡生活を送っていた。その間、どのようにして身を隠し、生活していたのか。

桐島聡容疑者として指名手配されていた男が死亡

2024年1月、神奈川県藤沢市内の路上で倒れた男が病院に搬送された。その男は、自分は桐島聡だと名乗り、「最期は本名で迎えたい」と話した。桐島聡とは、1970年代に連続企業爆破事件を起こした過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、爆発物取締罰則違反の容疑で指名手配されていた男だ。警視庁公安部は、男の身元を確認するためにDNA鑑定を行ったが、その結果が出る前に、男は末期がんのために死亡した。男の死により、49年間に及ぶ逃亡生活に幕が下りたのだった。

逃亡生活の秘密とは

桐島聡容疑者として指名手配されていた男は、どのようにして逃亡生活を送っていたのだろうか。捜査関係者や関係者の証言によると、男は以下のような手法を用いていたという。

  • 偽名と偽造した身分証明書を使って、土木会社に住み込みで働く。約40年間、同じ会社で働き続けた。

  • 仕事は真面目にこなし、周囲ともトラブルを起こさない。しかし、プライベートなことはほとんど話さず、家族や友人もいない。

  • 逃亡生活の教本として、東アジア反日武装戦線が作成した「腹腹時計」という本を持ち歩く。この本には、逃亡者が注意すべきことや、警察の捜査手法などが書かれている。

  • 貯金は240万円ほどしかなく、贅沢な暮らしはしない。しかし、自分の死後に遺体を引き取ってくれる人がいないことを心配し、葬儀費用を用意していた。

  • 指名手配のポスターは、交番や警察署に必ず張ってあるが、当時の面影はどこにもなかった。年齢や体型、髪型、眼鏡などが変わっていたため、誰も気づかなかった。

逃亡生活の終わりとは

桐島聡容疑者として指名手配されていた男は、なぜ今になって自分の正体を明かしたのだろうか。男は、病院で警察に対して、以下のようなことを話したという。

  • 連続企業爆破事件については、自分は関与していないと主張する。しかし、東アジア反日武装戦線のメンバーであることは認める。

  • 逃亡生活は苦しかったが、自分の信念を曲げることはできなかった。しかし、最期は本名で死にたいと思った。

  • 自分の死後に、遺体を引き取ってくれる人がいないことを悲しんだ。自分には家族も友人もいない。唯一の親族は、7年前にDNA採取を受けた弟だが、連絡先も知らない。

  • 自分の死について、世間に知られることは望まない。自分はただの一人の人間であり、過激派の象徴ではない。

桐島聡容疑者として指名手配されていた男は、自分の正体を明かしたことで、逃亡生活に終止符を打ったのだった。しかし、彼の死によって、連続企業爆破事件の真相は、永遠に闇の中に埋もれることになるのだろうか。

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