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逆転劇インドの踊り

19世紀末期、イギリス人が一方的にインドの社会に偏見をもち、非道徳習慣を改めさそうとしたこともあって、寺院に常駐するダンサーの地位は奈落に落ちる。

マハトマ・ガンジーは言う。「残念ながら、わが国の寺院の多くは売春宿も同然だ」とある。公徳心のある市民たちのキャンペーンで寺院のダンスは禁止された。しかし、そこで踊られていたダンスは今も残っている。

わずかなダンサーたちが、芸をはぐくみつつ、まことしやかに伝え続けたのである。その後インド独立運動(1947年インド独立までの一連の動き)が芽生えると、自国の文学などと同様に、ダンスも守られた。

その頃に上層カーストの女性指導者達も「デーヴァダーシ」達とともに踊ったとある。これはインドの価値観では稀有なことで、バラモンの女が人前で踊ることはありえない。

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これらのパイオニア的存在で有名なのが、故ルクミニ・デビである。

彼女はダンサーであり、コレオグラファーであり活動家。1904年に生まれ1986年に亡くなっている。

※写真のグーグルロゴは生誕112年を祝ったもの。

彼女は、程度の低いとされていたインドの古典芸能や伝統芸能を見事に復活させた。1934年マドラスに「カラシュクトラ」という学校を創設した。「バラタ・ナーティヤム」と呼ばれる近代インド古典舞踊の基礎を確立した人物である。彼女自身が上層カーストの女性で、上位カーストの人々はもちろん、身分、国籍問わず幅広く生徒をうけいれた。現在もインドに残る有名な学校であり。またインドの動物福祉協会の初代委員長でもある。

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※天皇皇后陛下もこの学校にご訪問されている。

ここには、宗教における祈りと舞台芸術を組み合せたいダンサーやミュージシャンが集まった。

「ナーティヤ・シャスートラ」

※舞台芸術に関するサンスクリット語のテキストで、最初の完全な編集物は紀元前200年から西暦200年までのものですが、推定は紀元前800年から500年の間とされる。

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この古典は、聖人バラタが創始者とされていている。

※アバターに似てる気がするよね。

この再び息を吹き返したダンスを「バラタ・ナーティヤム」と呼ぶ。今日では舞台でのみ上演されるようになり、社会的地位は激変した。現在では、上流・中流階級の女性が踊るものになった。

この方は、ルクミニさんのお弟子さんでショーバナさんという方。

何とも魅力的で目を奪われるダンサーさんですね。伝統を守る方々からは賛否両論あるそうです。インドでは人気の女優さんなんだとか。

伝統のダンスを近代へ変化させ、伝えたルクミニ・デビは、最下層のダンスを上層へ昇華させた。その伝統を守るのか、また変化させていくのか。どちらの考え方が正しいのかはわからない。競技ダンスなら伝統なのだろうし。観客を楽しませるなら、今退屈なダンスは淘汰されるであろう。

型は素晴らしいがそこだけに囚われない。守・破・離の考え方が必要なのかもしれない。型があるから型破り、型が無ければ型なし。第十八代中村勘三郎さんの言葉である。




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