国家と舞踏ジャワ島編
ジャワ島は、インドネシアで四番目に大きい島であり、世界で最も人口密度の高い地域の一つと数えられている。全長990キロメートル、幅が最長で200キロメートル。日本の本州半分ぐらいのところに、一億人を超える人々が、山岳地帯の多い国土に暮らしている。そこには50以上の活火山があり、近年も噴火したりしている。5年ごとに噴火し、死者を出したり、破壊を繰り返すが、火山灰などを利用して滋養豊かな稲田で賄っている。
1883年にジャワとスマトラの海峡でおこったクラカトア山の破壊的な噴火の際も、その音が3200キロメートル離れた土地でも聞こえたという。地震と津波は日常と溶け込み、自然の脅威と共存して、狭い範囲に暮らす。そんな人々の伝統的な踊りを探ってみよう。
18世紀に王家が分裂した後、中心地を挟んで2派に分裂した。それぞれの宮廷は一つはヨギャカルタに、もう一方はスラカルタに建てられた。これらの宮廷が、独自に古典的なジャワ宮廷の踊りを独自に発展させてきた。それが「ブドヨ」である。
この踊りは、マラタムという国に統治者が、一人のイスラム教徒にまつわる300年の歴史ある伝統を表したものである。彼は、南海の女王とされる女神と儀式的な結婚をしたが、彼女が彼にこの踊りを教えた。皇室と神性とに根ざすジャワ人の伝統は、9世紀と10世紀の神王まで遡る。仏教とヒンドゥー教を独特な形で混合させ、ボロブドゥールも寺院群とプラムバナン(ヒンドゥー教のシバ神)の近くに、島最大の記念碑を建てた。13世紀のジャワ島の統治者は、シバ神と釈迦を同時に受け入れた。
※中央ジャワの仏教モニュメント、ボロブドゥール(800年)は、仏教の曼荼羅における、宇宙の山を表現している。膨大なテラスのついた9層からなる建物で、各層の回廊に浮彫が巡らされている。ここにも、当時の踊りの形式が現在にも残っている。
踊りの儀式は、イスラム教の宮廷で行われ、仏教の静寂主義を含んだ面もみられる、本来は海の神に捧げられる踊りであったが、「ブトヨ」は本質的には異なる正反対の要素を連結して一つの調和を創り出す。これはジャワ人の特性がよくでたもので、統治者の栄光を讃え、皇族の持つ神性を確かめる。ジャワ人の内面を表し、生き方についての明確な示しである。
同一の衣装に身をまとい、常に同じ動きをすることにより、一人の人格、一つの概念、一つのテーマを見せる。
次回はジャワ島の古代の踊り「ブトヨ」の内側に迫ります。
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