楽器との出会い

お疲れ様です。じゃみえさんです。

今回のテーマは「楽器との出会い」です。
私楽器勢であることはある程度知られてるのでね、一応どんな経緯でーってのをお話しできればと。
半分くらい「楽器」を「音楽」と言い換えられるかも。

私が楽器に触れるようになったのは幼稚園の年長くらいだと思います。仲の良かった友達が親同士も仲が良く、その子がエレクトーンアンサンブルの教室にいたので、じゃみえ兄弟にピアノを習わせたいと思ってた私の母は、その友達と同じところに通わせてくれます。
因みに兄sは近所の個人レッスンのところを数年やって辞めてます。

何度「辞めたい」って母親に言ったかは分かりませんが、なんだかんだ続けて音楽が大好きになります。
技術の方に関しては複数人で同じ曲をパート分けする形式のため、片手だったりある程度簡単なフレーズで済んでたので、同い年でバチバチに個人レッスンを受けてクラシック曲とかやってた子とはかなりレベルが離れていました。気にしてないけど。

そんなこんなしてると、小5のころ音楽大会なるイベントがありました。学年全体で1曲、いろんな楽器で大合奏するやつで、私は鍵盤ハーモニカもリコーダーも苦手ではなかったけど、そのとき小太鼓を担当します。
ずーっと8ビートの譜面だったけどその時めっちゃ楽しかったのは覚えてます。

時は流れ、中学入学。私は兄の後追いで小2でバレーを始め、小4で厳しい練習に心が追いつかず辞め、同年友人の誘いでサッカーを始め卒業までサッカーをしていたので、そのままサッカー部に入ろうと思っていました。

しかし、私、体を動かすのは好きだし、足も遅くはなかったけど、サッカーに対して情熱は全くなく、このまま入ってレギュラー争いとかすんのかねぇとか思ってると
母が「吹奏楽部はどう?見学くらいしたら?」というのです。母は学生時代吹奏楽部で、バレーをやってた長男も高校から吹奏楽を始めていました。
本当に気は乗らなかったけど練習を覗くことにしました。まぁ確かに部活動紹介のドラマかっこよかったし、、。

練習のある日覗いてみると100%女子。小学校在籍してた合唱部の知り合いもちらほら見学に来てるようで(しかし女子しかいない)ほげーとか思ってると。部員の先輩が「え!?男子が来た!!何の楽器がしてみたい!?!?」とめちゃめちゃ歓迎されて、部員同士のライバル視バチバチのサッカー部とは180度違う反応で、ここでいいかなって入部します。
(そこから3年間ほかに男子部員が入ることはなかったです。)(私が卒業すると2人入ったそうです)

しかし!!

この吹奏楽部、部員関係はぐちょぐちょ、練習はせんしまともな指導者もついてない弱小部で、各楽器に先輩1〜2人程度、同学年は私含め5人しかおらず、衰退は目に見えてました、、
中学女子部特有(?)のめんどーい上下関係意識でほんとに後輩たちが先輩を怖がってて、その3年たちが練習の時間に話してるから周りが気を遣って音も出さないくそな1年が経過。
幸い打楽器の先輩方は善良で、基礎練とか楽器の手入れとか指導者がいないなりに代々伝授されてきたことは教わることができました。

我々が2年になるとなんと後輩が12人入り、早くも学年ごとの人数バランスが崩れます。
ただ、あまりに前年の3年が酷かったので新3年が頑張って部内環境を整理しようとしてくれます。
が、最大の過ちは、新部長を前3年が決めてたこと。
評価基準は怖そうかどうか。は?
周りの先輩方が頑張ってたのにその部長が引っ掻き回してふた悶着くらいあるんですけどまる1年かけて部内環境はかなり改善します。練習はある程度するようになるし。面倒な感じの上下関係は撤廃。ただまともに練習を指導できるのはいない。

そうこうして2年が終わりたいな我々の代となるとなんと後輩が13人増えます。我々5人じゃ指導しきれずってとこで全体のレベルはお世辞にも高いとは言えませんでした。後輩は生意気なのでシメてやろうかと思ったけど男1人なんかやろうたって女子中学生の最強度に太刀打ちできそうになく平静を保ってましたね、、ただ部内の雰囲気だけは過去最高だったかと。
そんなこんなの3年間。女子同士のいざこざには干渉せず練習時間ずっと楽器触ってたので、私の技術はある程度のところまでいってました。
しかしまともな指導者がいなかったのでドラムですらほぼ独学でしたが、、

一方エレクトーンの方も中3まで続いてて、クラスでほかにピアノ弾けるやつがいねぇって理由で合唱の伴奏をやらされてギリギリで仕上げるも本番で途中伴奏止めてまう大失敗をしとります。習い事としてはたまに辞めたくなったけど「修了コンサート」という年度末にある割と何でも曲選んでいいコンサートでゲーム曲とかボカロ曲とか自由にやらせてもらってそれはそれで楽しかったですね。ただ勉強も部活もあるしってことで中学卒業と一緒にエレクトーン教室も卒業しました。

ほいで高校入学。高校は中学と打って変わって県内屈指の強豪校。市内中心に強豪中学から吹奏楽部も目当てで入学してくるやつがいる程。部員は毎年90人前後。
そこに来てやっと私の3年間の価値の薄さに気付かされるわけです。先輩バケモンだし同級生も強豪校出身揃い。さりとてほかに居場所なんぞなかったわけで必死に喰らいついていきました。

しかしコンクールの出場人数にも限りがあり、2年間は2軍(指導者の意向でせっかくの人数だしって1軍2軍両方コンクールに出すため指導してくれて無駄はなかったですが)にいました。
打楽器だけで15人くらいいたからね。
それでも気の合う男子部員とも出会えて、楽器はめっちゃ鍛えてもらえてそれなりに充実してました。
文化祭とかだとポップスの演奏もするのでドラムをやる機会もおおくそりゃ楽しかったっすね。
(3年に上がる時私のせいで打楽器の部員は減りますがそれはここでは語りません)

来たる3年。顧問が代わり、それまで副顧問だったやつが尻尾を出して圧政が始まりますが、おかげで逆に3年を中心に結束し、私はついに1軍に入ってコンクールに望み、ティンパニを担当してその学校が5年行ってなかった九州大会に出場を決めます。めっちゃ頑張った。めっちゃ嬉しかった。九州大会でも銀賞をいただいて大満足で高校の部活は終わります。

んで、大学。
吹奏楽を続けるつもり満々だったのに。大学に吹奏楽部がなかったので、地域の吹奏楽団に入るという手もありましたが、大学の交響楽団に見学に行くと、打楽器がおらんとの話、ついでに同郷出身のツイ廃も打楽器で入部を迷っとるとのこと。結果互いに道連れ似する形で交響楽団に入団。ドラムも叩きたかったので軽音にも入り、今に至ります。どちらも吹奏楽とはかなり違うけど、これまで培ってきたものは役に立ってます。