推し

お疲れ様です。じゃみえさんです。

今回のテーマは「推し」です。
僕としては非常に難しい概念だとおもっております。。

今回はあえて辞書引きせずなんとなくの僕なりの「推し」のイメージを。

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【推し】
とある人物、キャラクター、集団等を熱狂的に愛好すること。また愛好家にとっての愛好対象そのもの。
特に所謂オタクが異性のキャラクターに対して使うことが多い(気がする)。
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(※別に男性は女性を、女性は男性を推せ、推すもの、と言いたいわけではなく、多く見かける事例として取り上げているので悪しからず。)

難しいと言いながらも割と単純そうにまとめてしまった。
(以下サブカルチャー系コンテンツを例に挙げ話していく)

私が難しいと言うのは「(異性キャラクターの)愛好対象」=「推し」
としてしまってよいか。ということ。

そもそも「推し」という共通のワードを日常的に用いながら、我々の「推し」の捉え方は十人十色と言ってしまってもいいのではなかろうか。

例えば、同作品中に女性キャラクターが複数人ヒロイン的ポジションで登場するとする。
  ある人はその内一番好みのヒロイン1人だけを「推し」ととらえるかもしれない。
  とある人は複数人、全員好みであれば全員を「推し」とするのも、私の考える定義上おかしくはない。
  また複数コンテンツを愛好しており、その中のとある作品の、とある人物のみを「推す」人もいれば、
  各コンテンツに「推し」が一人ずついるファンもいるだろう。

さらに「顔が好き」「声が好き」の1点で「推し」としたり、最初は全く好みではなかったが、作品の物語上の振る舞いに感動して「推し」とする人もいるかもしれない。

人によって「推し」の範囲や深度があまりにもバラバラではないか、と最近筆者は思うのです。

しかし私が不思議だと思うことがもう一つ。
そのあまりに違う「推し」の捉え方が個々人にあるにもかかわらず。その捉え方にに関する対立はほぼ見かけないことです。
所謂「過激派」なる方々を除けば平和で混沌とした概念のように感じます。
この世には「自分が『推す』キャラクター、人物等を他のファンが『推す』」ことを嫌う「同担拒否」という思想まで存在するのでややこしくはありますがね。。。(流石に私の語れる範疇ではない)

ここからは筆者自身についてなのですが。
私は見た目、や声も大事ですが、特に物語上後々明らかになる事実や振る舞い等、コンテンツ沼にドップリ浸かった上でわかるキャラクター性を重視して「推し」と言いたいオタクです。

ですので私の推すキャラクターですらなくとも、他のファン(特にコンテンツに出会ったばかり)が「顔がいい!『推し』!」などと言ってるのが目障りに感じてしまうことがあります。
コンテンツを共有し楽しむファンに向かって自分の思想を強要するなどということはしませんが、多種多様な「推し」の捉え方があるということの理解と、自分自身の解釈がぶつかってしまい
「こんなに面倒なことを感じてしまうなら、自分はオタクに育たなければよかった」
と思うことがあるのです。
ついでにラブコメなども「○○派」的な楽しみ方は普通にできますが、いざ「推し」と呼ぶべきものが最近はわからなくなってしまいました。
厄介ですね。
感想等で読者さん自身の解釈や私の悩みの解消となりそうなヒントがあれば教えてくださいな。