抱えてるもの

お疲れ様です、じゃみえさんです。

テーマ「抱えてるもの」ですが今回は僕の抱えている病気のようなものについて

いきなりですが、読み手さんは「変人」に憧れたことはありますでしょうか。意味のわからない方向けに補足すると僕の中では「達人」や「職人」のニュアンスを含みます。

文字通り変なことだけやってる人間のことではなく、他人には理解し難い価値観や動機で行動したり、物事に没頭したりする人を(僕の中で)変人と呼んでいます。正直自分の中のイメージを文章にするだけの力はありません。

「変人」さんは異様な存在であると同時に、自分の憧れの姿でもありました。何がきっかけだったかは覚えていませんが幼少の自分が見上げていた兄や小学校の先生の影響だったかもしれません。中学生にもなると、お馴染み「厨二病」の時期です。私は合併症として「変人病」を患いました。

俺は他人とは違う、理解されるな、変人たれ、と。何を成すじゃなし、ただ変な人として振る舞い続けた気がします。「変人は褒め言葉だ」などと言えば十分に変な人でした。私の病気を悪化させたのは「変人」を名乗る塾講師の存在がありました。阪大に2年通って「なんか違う」と宮崎に帰郷、宮大理学部応用生物科学科に入っては私の実家の近所で塾講師のバイトで並外れた数学の能力を奮っていました。彼が「変人病」を患っていたかは定かじゃありませんが、私のスタンスを見ては面白がっていました。

その講師のおかげもあり、無事高校に入学すると私は私自身の変人たる要素を見直すことになります。出会いは高校の吹奏楽部、2こ上の打楽器のK先輩でした。彼は芸術系学科への進学を志し、成績優秀かつ打楽器に関しては同年代で県内右に出るものはおらず、市内のジュニアオーケストラの指揮も務めていました。その圧倒的ハイスペックが、奇想天外な発言をしたり、鬱になったり、誰よりも丁寧に1年の育成に取り組んだりと、もう当時の自分としては惹かれて惹かれて惹かれまくって、「なんだあの「変人」は」と衝撃を受けるわけです。しかし、他の先輩によると彼は自分を「変」だと思わないそうでした。僕としては彼の何も理解出来ず、彼の何にも追いつけない、そんな次元の人間が、「変」ではないのです。

じゃあ、私が求めてきた「変」は?

気付きました

私は「「変人」でありたい人」という変な人だったのです。「変人」でありたいだけの何も出来ない、理解されないのではなく、相手にされない、ただの変な人。

ショックでした。物悲しかったです。ただそんな感情を遥かに超える憧れが生まれてしまったのです。

「変人病」は今でも拗らせています。私は「変人」ではありませんが、「変人」でありたいことなんて誰にも理解出来ず、私だけが没頭しているのですから。