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ぱちんこ放浪記6【コラム】

※このお話はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

初めての1000ハマりをしてから、月日が経ち、すっかりパチンコ打ちとなってしまった僕。少し書いたように最初に入った会社がパチンコを打つのにとても都合の良い会社だったのだ。でもこの頃はまだ毎日行ったりもせず、会員カードを作ったりもせず、行く度に勝ったり負けたりで一喜一憂していた。

財布が充実すれば連日打ちに行き、負けがこむようなら財布が充実するまで自粛、そんな感じの繰り返し、会員カードを作らなかった理由は等価ホールばかりに行ってたというのもある。時代は等価全盛期、昔から打ってる人はこの等価全盛期がパチンコが苛烈なギャンブルへと変わってしまった転換点だとよく言ってる悪名高き風潮である。

だが、それは歴史が終わったから言える事、パチプロや朝から打てる人は低換金の回る台で粘った方が理論上はそりゃいいが、この頃のパチンコホールを支えていたのはサラリーマンである。サラリーマンは短時間しか打てないので仕事帰りにどかっと1発稼ぎたいって人が大多数だったのだ。だったら等価でってなっちゃう人が多かった。

もちろん僕も等価店ばかり行っていたのだが、名古屋市中のパチンコホールを渡り歩いた甲斐もあり、たまーに違うお店に行くこともあった。その日向かったホールはイベント日でもあったのだが、仕事中にある情報が……

仕事を一緒にしていたバイトのT君、金髪ロン毛で愛車の原付はバリバリの族車、ロケットカウルに3段シート、ホーンももちろんやかましい、なんて子ではあったのだが、仕事の覚えは早いのもあり、教育係の僕とはわりと良い関係であった。

「〇〇さん、今日あのパチンコ屋行くんっすか?」

「ああ、そうだね、一応イベント日だからねー、T君も行くん?」

「あそこ、サクラ使ってるんすよ!俺、店長に角台打ってくれって頼まれましたもん!気をつけた方がいいっすよ!」

何を気をつけるのかはよくわからないが、店に到着した僕はその会話を思い出し、おもむろに角台に向かった。データを見ると確かにシマトップ台ではある。よーしいっちょ座ってみるか!

何を打ったか覚えてはいないが、ろくな目に合わなかったことだけは覚えている。この話はサクラなんて嘘だったなぁ、なんて話を回顧したいわけではなく、まだこの頃はパチンコパチスロも胡散臭かったなぁという話である。特にスロットはまだ裏モノがギリギリあった頃だと思う。

パチンコでも1回転で当たり続けた〜なんて話もあったし、その頃に比べるとずいぶん健全になっちゃったもんだよ。そして過去に比べたらずいぶんと健全になってるのに風評だけは悪化し続けてるというのも皮肉だね。

#パチンコ #ぱちんこ放浪記

サラリーマンのリアルな立ち回りとパチンコの面白さを伝えるnoteである!……できれば勝つ!(たまに横道にそれたりもする)