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札幌ドームの思い出。

note書く予定無かったんですが記録用に書いておきます。

初めて行ったのは2001年の7月、開業わずか1ヶ月後に新日本プロレスの今では最初で最後の札幌ドーム大会。肉眼では米粒のようでしたが鳴り響く登場曲に興奮したのを覚えています。

そして2004年。ファイターズが移転してきます。
それまで北海道でプロ野球と言えばテレビ中継がよく入り、定期的に円山球場にも来てた巨人ファンが圧倒的で、僕もその一員でしたが(堀内監督時代に嫌いになってからほとんど見てませんでしたが)、移転を機に見に行ってからどっぷりファイターズファンになりました。

実家が札幌ドームに程近いこともあり歩いて行くのが定番でしたね。
最初に見たのは大学2年のGW前の近鉄戦だったと記憶してますが、当時スタンドはまだガラガラ。
選手もほとんど知らずとにかくファイターズというより背番号1が躍動する姿を見に行っていたもんです。

それを後に満員にする、それだけshinjoはすごかった。
翌2005年からファンクラブに入り、特に2006年は就活も早めに終わり、大学もほぼ行かなくてよかったので暇さえあれば見に行ってました。

そしてその年移転3年でリーグ優勝、日本一。リーグ優勝が25年ぶり、日本一が44年ぶりのことを考えれば移転効果が絶大というべきでしょう。

もうファイターズ戦だけで通算100回以上は確実で、下手したら200回とかは行ってるかもしれないので、記憶が定かではないですが
自分が現地で見て印象的だったのはやはり2016年の日本シリーズですかね。特に岡大海デッドボールからの西川遥輝満塁弾。球場が揺れるとはこのことでした。

皮肉にも上記2人も後にレギュラー級にも関わらず放出されてしまうという、ドライというか見極めがうまいというか、そういう球団方針は徹底していて、ファンとしては何度も悲しい場面に遭遇しましたね。

ただ、元ファイターズ選手が札幌ドームに来た時球場が温かい拍手で包まれるなどいい光景もたくさん見ました。

あと揺れると言えば稲葉ジャンプもたくさんしましたね。あれも無くなって久しいですが新球場はどうなんでしょう。

そして1番泣いたのは飯山裕志引退試合です。後にも先にも人生であんなに泣いたことないかもしれません。娘が産まれた時でさえ全く泣かなかったので笑
それだけ飯山が好きでした。
今後新球場でそれくらい応援したいと思う選手がたくさん現れるといいですね。

ファイターズ観戦はその2016年をピークに自然と減り、子供が産まれてからは見に行く機会もなく、コロナも重なって2020年にファンクラブをやめてしまいました。

先日の最終戦もドームに行くという選択肢はありませんでしたが、これまでたくさん見たので悔いはありません。

セレモニーなど、素晴らしかったようですね。
とにかく19年間、ありがとうと言いたいですね。

野球以外にもコンサドーレ戦やビリージョエル、ドリカム、SMAPなどのコンサートも行きました。SMAPは今考えると最後のツアーだったんで貴重な経験でしたね。

新球場、うちからは最低でも1時間半以上はかかりそうなので平日ナイターは絶対無理だし、土日もいつ行けるか分かりませんが落ち着いた頃に1回くらいは行ってみたいですね。

まあ色々言われてますが札幌ドームからファイターズを追い出した札幌市、相当根に持ってます笑

特に福住の行く末が心配。ちょうど中学卒業直後に札幌ドームが出来て発展していったんですよね。また元に戻ってしまうのか、市はあまり危機感感じて無さそうですが廃墟にだけはならないでほしいです。

以上、とりとめもなく書きました。
ありがとう、札幌ドーム。


写真:飯山裕志引退試合時の筆者。

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