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たまにはいい

こんにちは☺️

昨日突然、息子3号が「学校に行きたくない」と言い出した。

なるほど。わかる。月曜日の朝、土砂降りの中、学校なんぞ行きたくないよねー。


よくよく聞くと、人間関係のトラブルらしい。なんもかんも嫌、今日だけ学校を休ませて欲しいとのこと。


なるほど。わかる。人間関係ってほんとめんどくさくなるとなにもかも投げ出したくなるわいなー。


なにもかも嫌だ、友達の顔も見たくない、疲れた、学校やら部活やら塾やら大変すぎる、疲れた。人間不信だ。


そう投げやりに言い放つ息子3号を見て、ふと中学生の自分が現れた。


私の母は「べき」論者である。学校に行くべき、学生の本分は勉強なんだから勉強するべき、女の子なんだからかわいい服をきるべき。長女なんだから妹の手本になるべき。結婚したんだから、旦那さんや義実家を大事にするべき。母親になったんだから子どもを最優先にするべき。いざというときのために母親になっても働き続けるべき。べき。べき。母自身はその「べき」を根性で全うする、実にやべー上位個体である。


小さい頃から母の規律正しさや頑張り屋さんのところを見て尊敬はしていたものの、自分に求められるのは大変しんどかった。しんどいと自覚するまでは必死に努力し続けようと試みていた気がする。

だがしかし、気力・体力とも母には遠く及ばぬ自分。たいがい、体調を崩したり、精神的に追い込まれ荒れ狂った。思春期は、自分を精神的に制御することができず、気持ちの乱高下は激しいし、持病のアレルギーは悪化するし、むちゃくちゃするし、とにかく生きているだけで精一杯だった。


その中で磨いたスキルは「サボり」。仮病をフル活用。小学校1年生の5月からそのスキルを利用していた。

とにかく、小さい頃は視覚・聴覚・触覚・嗅覚が敏感すぎて、集団行動が「超」が着くほど苦手。なんとかして逃げ出したいが、公の理由が欲しい。よって病気になるしかない。とにかく頭が痛い気持ち悪いを駆使して学校というものから逃げ出していた。

小学校の時は給食食べてから帰っていた。クラスメイトからは「食い逃げ」と陰口をたたかれていたが、それでも帰りたかった。

中学校に入ると午後に苦手な数学が多かったため、弁当食わずに帰り家で食っていた。当時父はほぼ単身赴任状態だったし、母もフルタイムで働いていたため家には私と妹だけだったのもサボりやすかった要因。家事をしっかりやれば、母も私が学校をサボっていたことに気づかなかったしね。ごめんやで。同い年の友人が興味があること(恋愛やアイドル)に全く興味を持てず、それも苦痛だった。


あるとき、あまりにも毎日サボるので職員会議にかけられていた。副校長(当時は教頭先生)から自宅にがっつり電話が入り、母は学校に呼び出された。私も捕まり4者面談。最悪である。帰る道々非常に気まずいながらも、母はあまり怒らなかった。人間関係や学校が嫌なら、いい成績をとって見返してやんな、舐められんじゃないとどつかれた。いじめを受けていた時期もあったが、いじめる奴らよりいい成績を取れ!とこれまたどつかれた。


非道な親だと思ったが、今思うといろんなことの防波堤になってくれていた。甘い言葉はくれなかったけど、いろんな雑音と戦い、守ってくれてたんだと思う。


その後、サボりながらもなんとか頑張り、そのうち気づいたら友達も二人できていた。しょーもないワタシを受け入れてくれて、周りの雑音をシャットアウトしてくれた。今でも変わらず連絡を取り合うほどである。


そんな中学生の自分から高校生の息子3号へ。気持ちの因数分解をするといいよ。「嫌」→なにが嫌?ともっともっと具体的に。きっと本当に嫌なことは気持ちの奥底にあって見えないもんさ。そして、何よりも「自分はどうしたいん?」と自分自身に何度も問いかけて欲しい。そして、敵がいれば同数の味方いるんだぜー。敵にばかり目が向くかもしれんけど、家族はいつも君の味方だし、心配してLINEしてくれた友達もいるじゃん?


そして今日はめっちゃ天気良くなった。

昨日ちょっと荒れてた息子3号。学校も部活も塾もぜーんぶサボった。昼間っから惰眠を貪り、先生からの心配の電話と、友人からのLINE、在宅勤務だった息子1号からは豪勢なお寿司をプレゼントされ、気分を立て直してとりあえず学校に向かった。


これで終わりじゃないと思うし、オカンとしてはまだ心配だけどさ。しんどいときはサボるのもありよりのありだよ。


物理的、心理的な距離をとるのは特効薬だからね!

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