羊と鋼の森を彷徨う
こんにちは。
今日はお休み。毎年恒例のピアノ調律の日でした。
本当は2月なんだけど、毎回毎回私の都合でのびのびにしてもらう調律。
調律しても弾く人が今はいないから、と割と蔑ろにしがちで申し訳ない。
ワタシとほぼ同い年のピアノ。母の持ち物である。
保育士だった母は、お金を貯めて自分のピアノを購入した。保育士はピアノを弾きながら歌を歌ったりするので、できれば自宅で練習したかったようだ。
ピアノの前で手を叩くワタシが映る写真がある。ちょうど3歳頃。赤いワンピース着ているのでかろうじて女の子と認識できるショートカットである。
たぶん母が歌いながらピアノ弾いているし、クリスマスの飾り付けをしているのでクリパをやっているのを父が撮影したものと思われる。
小さい頃からピアノがある環境だったため、割と早めに興味が湧いたようだ。従姉妹がピアニストを目指していたため、幼い姉妹に教えてもらおうとお願いしたようだ。
ある時から毎週従姉妹がピアノを教えに来てくれた。
従姉妹は当時女子大生。折しもハマトラがめちゃくちゃ流行っていた頃。清楚なワンピースやFUKUZOのポロシャツ、ミハマの靴。流行の最先端の空気を運んでくれた従姉妹が大好きだった。レッスンの時間はだいたい14時ぐらいだった気がしたので、その前になると自宅の最寄りのバス停まで妹と二人で迎えに行った。バスから降りてくる従姉妹と手を繋いで自宅まで。その間に色々と話をしてくれた気がする。
レッスンはハノン、バイエル、ブルグミュラー等いたってスタンダード。従姉妹は優しく教えてくれた。課題が出るので毎日1時間程度練習したが、どうにもあまり器用な方ではなくて、うまくいかずキレ気味だった自分。運指ができず、鍵盤を叩きつけるように弾いては母に怒られ、もうやめる!!と何度も泣きながら、それでも練習を続けていた。
従姉妹が大学を卒業し、某国営放送に就職が決まったためピアノレッスンは自然消滅。おおよそ、二年間のレッスン期間だった。
その後、ワタシはある程度弾けるようになっていたため、小学校、中学校の合唱コンクールの伴奏を務め、高校ではオペラ歌手を目指す先輩の歌唱伴奏(練習よ、練習)を務めた。
ピアノを通じて、気持ちを表現することの楽しさを知った気がする。
その当時のストレスや気持ちの全部をピアノと歌にぶつけてたなあ。
ガッツリ青春やん笑
ピアノが縁で、高校では合唱部に所属し歌いまくった。音楽コースがある学校だっため、今思えば周りはプロ(音大)を目指す先輩たちが多くいた。
でっかいグランドピアノもあったし、アップライトピアノが置かれている防音室も複数あった。暇さえあれば、籠ってピアノを弾き、歌を歌い。
いっとき、歌い手を目指したこともあり、オーディションも受けた。
結果は、、、
「君、歌上手いね。でも上手い人はたくさんいるんだよね」
だった。そう、上手だけじゃダメなんだよね。ダメってことはないんだけど。
その上に行く人は、さらに何かがある。その何かはわかるようでわからない。
努力なのか、才能なのか、何なのか。イヤホンから流れてくるスタッフさんの
言葉を聴きながら、諦めたほうがいいんだろうなあと思った。
でも、歌は大好きだったしカラオケも流行りだったからめっちゃ行った。
ある時からぱったり歌わなくなった。歌いたいと思わなくなった。不思議。なぜかはわからない。もう心から湧き上がるような想いが枯れちゃったのかな。
今日も調律師さんがチューニングするのを聴きながら、そんな思い出の中の羊と鋼の森を彷徨っていた。
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