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習字

おはようございます。

連休の谷間、雨ですねえ。
息子3号は暦通り学校あり。ちょっとだけぶすむくれて学校に行きました。
学校と友達が楽しいので、ぶすむくれ度は低めです。

さて、推しがラジオであみだくじをやるたびに思うのですが、非常に字が綺麗だなと。お習字というか書道をやっていた勢かと。Wikipediaにもそうあった気がする。

ワタシの時代、女の子の習い事といえば習字とピアノ。ピアノについてはものすごく書きたいことがあるのでまた別記事に。

習字は小学校1年生から高校2年生までやってました。というのも、保育園の同級生のお宅が非常にハイソで、習字・組紐・木目込み人形などなどお祖母様が生徒さんを教えてました。
オカンはワタシに綺麗な文字を書いてほしいということと、多分そこのお宅の雰囲気に触れさせたかったし、ワタシが乗り気だったのでやらせたんだと思います。小さすぎて動機は忘れたけど。

自宅から子どもの足で10分ほどのところに毎週月曜日てくてく歩いて習いに行ってました。

むろん、個人宅なのでピンポンを鳴らして「こんにちは」と言って入るのですが、他の生徒さん(みんなおばさんかおばあさん)がいる時は盛り上がっていて聞こえない。玄関でモジモジして人見知りを最大に発揮していると、他の家人がいらっしゃるときは「お上がりなさい」と言われてこれまた気まずい。。。幼心に非常に辛い瞬間でしたわ。

他の生徒さんがお帰りになるまで玄関先でぼんやりして、その後お祖母様のお部屋に入り字を書く。毛筆・硬筆とたぶん2時間くらいの体感だったかと。

正座して、心を鎮めて集中。小さい頃は心に雑念が多くてキョロキョロする子だったのでその時間も苦痛。庭で飼っていた甲斐犬の吠え声や木々に集まる小鳥の声。木々のざわめき。雨の音。庭の芝生の水滴。思い返せばイングリッシュガーデン風だったろう庭の木や花たち。お祖母様の部屋の掃き出し窓から見える光景がすごく心に残っている。

ワタシが習字をしている間、お祖母様は別のことをしている。組紐やご自分の作品の制作などなど。終わる頃を見計らって、朱色で添削。いい時は大きな花丸。悪ければ一緒に筆を持ってくれてなんどもなんども繰り返し教えてくれました。昇級・昇段すれば控えめながら喜んでくださった。

口数は少ないながらも、とっても温かな雰囲気。

ワタシ一人きりのレッスンだったためか、夏は麦茶、春と秋は紅茶、冬の寒い日は甘酒(苦手で辛かったけど、気合いで飲み干した)を休憩時間にいただいたことを思い出します。

時折、お茶を入れるのを手伝う時があって、ダイニングキッチンにお邪魔すると、そこには自分の家にはない舶来物の数々。大きな食器棚にデルフトやロイヤルコペンハーゲンのイヤープレート、マイセンの陶器の人形。初めて見るものばかり、あまりに素敵で目に焼き付いてる。

同級生のお父様は某帝国大学の教授でいらっしゃって、時折ご自宅でお仕事をしていたので、在宅の時は抜き足差し足忍び足で宅内を移動。終わった後筆を洗う洗面台は今考えればまったくのオーダーメイドだったろうし、オシャレな蛇口とシンクだった。

最初はイヤイヤながら通っていた気がしますが、年齢を重ねるにつれまるで第二の自宅のように感じていたし、友達のお祖母様だったのに自分の祖母のように親しみを持つようになっていった。

大人になってからも、年賀状のやりとりや季節が変わる折には手土産を持って訪ねることもあった。こちらが結婚して子持ちになり忙しすぎて会えないうちに老人ホームに入っておられた。

震災前の年、最後に老人ホームにお会いしに行った時に、うちの子を紹介しついでにご自身の来歴等をゆっくりお茶をいただきながら話す機会がありました。
関西方面の高等女学校を卒業され、結婚して関東に。明治生まれでいらっしゃったので戦争中にいろいろなご苦労もあったらしい。お子さんやお孫さんたちは皆「超」優秀で、特にご長男は園遊会に出られるレベル。そんな写真が小さなお部屋の壁にたくさん貼られていました。

最後にお別れする時に、エレベーターまで見送ってくださり、まるで孫と別れるような寂しそうなそんなそぶりを見せてくださったこと、脳裏に焼きついて離れません。

きっともう亡くなられておられるだろうけど、その後の消息は残念ながらわからぬままです。

いただいた年賀状には短いメッセージと墨絵が。大事に大事に保管してあります。

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