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【ネタバレ注意】大豆田とわ子と三人の元夫と、三人の女

『大豆田とわ子と三人の元夫』最終回を見ての感想を書きます。まだこれから見る、という方は読まないでください!




観終わって、ああ、いいドラマだったなーと思った。


もともと、個性が濃いキャラクターが放つそれぞれの言い回し、かけあいが絶品でただただおもしろい、というだけでも観る価値はあったのだけど、

第一印象…「女性社長が主人公って、珍しいな」ということ、これが一番の肝だったのだな、と分かった。

『大豆田とわ子と三人の元夫』だけど、メインは横軸の三人ではなくて、縦軸の三人ーーとわ子の母、とわ子、唄という三人の女、だった。

何回目かに、かごめが自分は価値のない人間だというような話をしているときに、とわ子が「私だって…」と言うと、かごめが否定する場面があった。「あなたがいることで、女の子が『私も社長になれる』ってイメージできるんだよ。あなたがいることはとても大事なことなの」というようなことを言っていた(せりふは正確ではありません)。

社長に向いていないと苦しんだり、娘の唄に「もう無理しなくていいんじゃない?」と心配されたりしながら、誠実に社長業を務めるとわ子。

唄は、医師を目指していたがあるときぱったりを勉強を放棄し、「医者の妻になるほうがいい」と、医師ジュニアの「西園寺くん」のサポートに回るようになる。

唄の父が、「唄のあこがれた先生は、唄が医者になったら喜ぶと思うよ。そのほうが大事なんじゃない?」と言っても、「その先生は病院でいじめられてやめちゃったよ。大人はそう言うけど、こっちはそういう現実をこれから生きるんだから。」と返す。

(うわー、耳が痛い!大人はきれいごとを言うよね…)

それは決して、「自立した」母の苦労を見てきたことと無関係ではない。

(たぶん、2018年に発覚した医学部不正入試問題とも無関係ではない。)

対して、専業主婦だったとわ子の母、とき子(唄の祖母)。夫とうまくいかなくなったのち、亡くなった(このあたりのエピソードは見逃してしまったのか、よく分からない。残念)。幸せそうなじゃかった、ととわ子は思っている。

最終回、とき子が生前書いた手紙が発見される。それは、「マー」という人にあてたラブレターだった。「あなたのことばかり考えてしまう」「このまま夫と子どもの面倒を見るだけの人生なんて」という衝撃の内容。

とわ子と唄は、「マー」さんに会いに行く。

それは、唄が「私の未来からもしれないから」とき子の人生を知りたい、と主張したから。

そして…


マーさんに会った帰り道、唄は「やっぱり医者目指して勉強する」と言う。





マーさんは、



女性だった。



「恋人だったの?」と訊く唄に、マーさんは驚いて「素直にそう言えるって、すてきだね。…今の子はそうなんだね~」とほほ笑む。


とわ子も唄も、とき子の時代よりは自由になった世界を生きている。

でも、不倫相手が男だと思い込む程度に「まだ古い」。


とき子の時代から、とわ子の時代へ変わったように、とわ子の時代から、唄の時代はまだ変わっていく。

まだ、「これが現実だ」と、合わせるべき現実はない

くさい言い方をすれば、「現実は私たちが作るのだ」と、唄は感じたのかもしれない。

とわ子の苦しみは過渡期の苦しみ。でも、それは確実に次の世代を作る力になっている。


そうやって世界は回っている。

回す人たちがいて、回っている


で…


私は、微力でも、回したい方向へ、回す努力をしているか



何もしないことで、惰性で逆回転することに加担してはいないか




自分に問いかける。


いろいろな見方があるとは思うけど、わたしにとってこの物語の核はここでした。

あなたはどう見ましたか????

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