待ってないで動いてみれば~っ!?

あまりにも暑くて目が覚めました。
寝てる間に、エアコンのスイッチを切ってしまったようです。
今日も茹だるような一日になりそうです…。

いきなりですが、
私の場合、目覚める前に大体なにかが舞い降りてきます。

今日は何を食べようとか、
今日はこの曲を聴こうとか、
今日は何を書こうとか…。

で、ついさっき、
暑さの中で浮かんできたのがこの言葉です。

果報は寝て待て。

たしか中学時代の現代国語の教師が言ってました。

「果報は寝て待て。この言葉の本当の意味を知ってますか?」

当時の私は、

ラッキー&ハッピーは巡り合わせでやってくるものだから、
あくせく動いたって仕方ない。
むしろ、じっと待ってたほうがいい…。

そんなふうに思っていたのですが…。
教師の話を聴いて恥ずかしくなったのを、
今でも鮮明に覚えています。

まず、「果報」という言葉ですが、
「果」はラッキー&ハッピー。
「報」はアンラッキー&アンハッピー。

そして、
「果報は寝て待て」全体の意味は、

やるべきことをしっかりとやりなさい。
もうやるべきことはないというくらいまで
徹底的にやり倒しなさい。
そのレベルまでやったら、
あとは慌てず焦らず、
落ち着いて結果を待ちつつ、
次にそなえておきなさい…。

つまり、
結果はコントロールできない。
コントロールできないことを
あれやこれや考えて悩んでも仕方ない。

そんな暇があったら、
すこしでも可能性のある打ち手があれば、
寸暇を惜しんで実践しなさい。

そしてもしも、
思いつく限りの手を打ったというのであれば、
結果がどうなれ、
うまく事が運んだ場合の次の準備と、
失敗に終わったときの対策を講じておきなさい。

そういう教えだというのです。

そこで改めて「果報は寝て待て」と吟じてみると、
これは相当に深くて重い言葉ですよね。

ただボ~っと待っているだけというのは愚かなことだ
…という意味に解釈できるわけです。
極論すれば、『待つな』ということです。

この事実を知ったせいかどうかはわかりません。
ですが私は、
いつの日からか、
「待つ」ということが苦手になりました。
というか、嫌いになりました。

ちょっと不道徳な例ですが、
車が通りもしない道で、
横断歩道が赤だからといって待っていることさえ
憎んでいた時期があったくらいです。

大人になってからも、
仕事にせよ恋愛にせよ、
「待つ」という選択肢を選ばないようにしてきました。

いろいろな経験を積んでみて、
気づけばいつしか、
「待つことは悪」みたいな価値観として根づいていました。

そう。
ただ漫然と待っていても、
ラッキー&ハッピーが起こらなかったからです。

もちろん、
待っていればいつかは起こったかもしれませんから、
早計には結論づけられませんが、
要は待っている時間が惜しかったのです。
タイム・イズ・マネーですからね。

みなさんは何を待っているのでしょうか。

もう少し時間に余裕ができるまで待っている?
もう少しカネまわりがよくなるのを待っている?
だれかが一緒にやってくれるのを待っている?
もう少し様子を見てから考えようと待っている?
もう少し情報を集めてからにしようと待っている?
もう少し必要性を理解できるまで待っている?
東京オリンピックが終わるまで待っている?
ただ面倒だから先送りして待っている?
ただ何となく待っている?

いろいろな事情があるとは思いますが、
ただ漫然と都合のいいことが起こるのを待っていても、
たぶん結局は何も起こらない…。

本当は、そう気づいていたりしませんか?

何かをやらなきゃやらなきゃ…と、
気にはなっているけど、
やりやすい状況や環境が整うのを
どうしても待ってしまう人がいたとしたら…。

どうか「待たない」でください。
待っていても状況や環境は変わりません。
あなたが動いてこそ、
それらは変わり始めるのだと思います。
あなたを取り囲む状況や環境を変えるのは、
他ならぬあなた自身です。

撒かぬ種は咲かぬ。
つかぬ鐘は鳴らぬ。
伝えぬ想いは伝わらぬ、です。

さて、想定外の暑さの中で目覚めてしまった私。
速攻でシャワーを済ませて、
今日のラッキー&ハッピーと出会うために
熱中症対策をしながら外に出ていこうと思います…。

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