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【医療マガジン】エピソード1 直子と百田寿郎の出会い(後編)

新型コロナが勃発して早2年超。すっかり自宅で過ごす時間が増え、息子の子、つまり、孫の志保ちゃんと響介くんに小遣いをやって教えてもらったパソコンライフも当たり前の日常になっていた。今では、一日に10時間以上、パソコンの前で過ごしているといっても過言ではない。思うように外出して仲間と集うことはむずかしくなったけれど、孫たちとのコミュニケーションが増えたのはうれしい誤算だった。
 
コロナ以前は考えられなかったことだ。娘や息子と顔を合わせるのは、よくて年に2回。お盆と正月ぐらいである。孫たちも社会人として自立し、親にくっついてやってくることもほとんどなくなっていた。

それがだ。認知症予防のためだと頭を下げて、お小遣いを餌にパソコン入門編を指導してもらったのが一昨年の夏の終わり。その後、「とにかく怖がらないでいろいろ試してみること。収拾がつかなくなったら電源を入れなおせばいい」という孫たちの言葉を信じて、あれやこれやといじっていたら、いつの間にやら、情報リテラシーが結構あがってきたものだからたまらない。
 
パソコンという新しい世界を切り開いてしまったら、そのあとはもうスムーズだ。同世代の仲間たちのほとんどがガラケーのままなのに、直子はiPhoneを無難に使いこなし、LINEもTwitterもFacebookもひととおり使いこなしているのだから、自分でも驚きだ。気のせいか、自信のせいか、気持ちも若くなったように感じる今日この頃だ。

その上、孫との距離も一気に縮まったのだからコロナ万歳と、快哉を叫びたいほどである。そして今。妙なウキウキワクワク感に浸りながら、ついさっき巡りあったばかりの百田寿郎のことを調べに調べている直子であった。
 
この日以降、直子は、通称・しらこわ、『知らなきゃ怖~い現代ニッポン10の真実』の過去放送分を存分に鑑賞して過ごすことになった。エンディングでは、百田寿郎と一緒になって、左手のピストルで「ムゥイビエン、バキュ~ン!」とやるのがお決まりになっている。
 
この番組は、コロナショックを契機にコンサルティングファームをやめて終活ビジネスで独立起業した百田が、学生時代の親友の伝(ツテ)で始めることになったらしい。もともと医業経営コンサルタントとして病医院に出入りしていた彼は、増患・集患を得意にしていたとのこと。患者や地域のシニアとの接点も多く、その過程でシニア援助技術をも習得していったようだ。
 
要は、元気なシニアが最後のさいごまで円滑に人生を全うできるよう、医療・介護・施設・財産・親子関係・エンディング…といった、老後のよくある課題やリスクについて、対策を練ったり、実務を代行してあげたり。このノウハウを百貨店や病医院や介護施設に売ることで仕事人生の後半戦に乗り出そうとしていた矢先に、旧友との縁で『こわしら』のキャスターとして白羽の矢が立ったという経緯である。
 
祖父も父親も開業医だった百田だが、医者という職業への反発から中学高校時代は滅茶苦茶な青春時代だったようだ。授業はサボる。試験はカンニング三昧。惰性で通っていた塾で一緒になった女子高生はたぶらかす。叔父に嫁いできた叔母さんとは関係する…。
 
そんな具合で、一生懸命だったのは野球だけ。で、祖父母と両親の強硬なプッシュでいちばん偏差値の低い医大に進学するも一年持たずに退学。叔母の呪縛から解き放ってくれた女子が在籍する六大学に舵を取ったはいいが、力量的に六大学野球には程遠い現実を受け入れた百田は(硬式ではなく)軟式野球部に入部。趣味として野球を楽しみながら、合コン(合同コンパ:女子大学生と男子大学生がグループで集い、お酒を飲みながら、マッチングに向けておしゃべりやゲームに興じる出会いの場)とアルバイトに驀進する。
 
当然講義にはほとんど出席せず、単位取得のためにお中元とお歳暮を教授陣に贈り続けた結果、複数の教授から「こんなことでは単位は授与できない」と警告状が届く始末。蛇足ながら、アルバイト先の進学塾では教え子を彼女にして青春を謳歌していた百田であった。
 
百田の歩みを可能な限り知り尽くした直子は、大いに笑った。ひとりパソコンの前で、声を出して大いに笑った。

この人…。百田寿郎さん。面白い。純粋で、少年みたいで、嘘がなくってまっすぐで。教え子とも、おばさんともヤッちゃう危険な香りも隠し持っている。私、好きかも…。

『しらこわ』という番組自体、今後の自分にとって役に立ちそうだし、この人がナビゲイターであれば退屈しそうにない。私の年齢からしたらはるかに若い百田さんとお茶しながら対話してる感じで親しんでいけそうだわね。
うん!生活と人生の幅が広がるわ、これで。
 
こうして直子の、『しらこわ』と百田を応援する生活がスタートした。孫たちを皮切りに、仲間のレディース&ジェントルメンにも電話して、ファンクラブの事務局にでもなったかのように百田の価値を伝えに伝えた。

番組にも、月に一度はファンレターを出すほどだ。スマホの待ち受けは、当然、百田のバッキュ~ンポーズ。部屋のパソコンも、背景画面もロック画面も百田寿郎である。
 
実は、直子にとって百田は、3年前に夫を看取ってからはじめて関心と好意を持った男性だった。直子にとって、いつしか百田が、朝起きてから夜寝るまでの日常習慣になっていく。

百田もやっているという、部屋でデキる介護予防エクササイズを真似るようにもなった。なんだか食事も美味しくなった。よく眠れるようにもなった。外出の時は、百田同様に好きな音楽を聴きながらインターバル歩行(ゆっくり歩きと早歩きを交互に繰り返す介護予防エクササイズ)を実践する熱中ぶりだ。
 
百田の番組を観ているとき、百田の著作やブログを読んでいるとき、ネットで百田の情報収集をしているとき、まちがいなく快楽ホルモンが分泌されていた。直子はそれを自覚することで、以前よりもはるかに毎日が楽しくなった。幸せを感じた。そして、外出しない日でも、メイクと身だしなみに気を配るようにもなった。
 
この幸福感をより明確に自覚するようになったのは、百田に感化されて「目標を紙に書いて常に目につく場所に貼っておく」……を実践してからのことだ。パソコンの脇には、100円ショップで買った写真たて。その左側のフレームでは、ネットで拾って直子が加工した百田寿郎が、真面目顔でキメている。そして右側には、覚えたてのパワーポイントに筆字フォントでこう書かれている。
 
「2022年12月31日。今年はついに、あこがれの百田寿郎に会うことができました。サンキュ~ッ!2023年もこの調子でムゥ~イビエン!」。
 
目標は、それを達成した未来から逆算して書く。つまり、すでに達成し終えたという意味で「過去形」で書ぁ~くッ!
 
百田との出会いで、喜寿を迎えようとしている直子に、新しい世界へと続く扉がいま開かれようとしていた…。

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