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【医療マガジン】エピソード8 永太郎と直子の出会い(中編)

エレベーターホールで6階まで上がると、そこに外来の受付カウンターがある。どことなく品の良さを感じさせる女性スタッフ数名が淀みなく事を進めていく。ゆったりとしたロビーで腰を下ろし、初診用の問診票を記載しながら、館内の様子をうかがう。
 
予習しておいてよかったと、直子は思った。壁にはフランクル博士の大きな肖像画や写真が掛けられており、さながら図書館を訪れた時のようなアカデミック感が漂っている。ラックに差し込まれているクリニックの紹介ブローシャーを手に取れば、そこには名誉院長である勝田永太郎博士が開院の目的について述べている。
 
 「ストレスや痛みや疲労に苦しむ患者さんのお役に立ちたいという気持ちと、敬愛尊敬するヴィクトール・エミール・フランクル博士からの学びをさらに発展させて患者さんに還元したいという想いから、全人的医療学の実践・研究・教育の場として、当院を開設しました。
 
患者さんには、病気を乗り越え、健康をセルフコントロールし、その結果、自己実現を果たし豊かな人生をまっとうしていただけるよう、私たちスタッフは全身全霊で努力します。どうぞよろしくお願い申し上げます」
 
 
勝田博士の略歴を見て目を引くのは、慶応大学経済学部在籍中に医療界に転身している点。それと、WHO(世界保健機関)の心身医学・精神薬理学の教授であり、リヒテンシュタイン国際学術大学院大学のヴィクトール・フランクル講座名誉教授でもあること。そして何よりもその受賞歴だ。「ヒポクラテス賞」・「シュバイツアー・グランド・ゴールドメダル」・「ヴィクトール・フランクル大賞」等々。ただものではないことが一目瞭然だ。
 
すっげぇ~っ! フランクルのみならず、医聖・ヒポクラテスに、シュバイツアーもよっ。マジ、ヤバいかも!
 
が、ホームページに添えられていた動画を観るかぎり、人柄は温厚で物腰もやわらかく、何よりも知性と優しさが伝わる話し方は、ともすれば気むずかしそうな学者や研究者のような雰囲気のかけらもない。直子は、自分の名が呼ばれる瞬間を嬉々として待っていた。
 
 
5分後、直子は勝田の真ん前で少女のような佇まいでときめいていた。直子がドアを開けるや、英国紳士風のジェントルガイがすっと立ち上がり、柔和な表情でひとこと。「お待たせしましたね。はじめまして。勝田です」ときたもんだから、機先を制せられた直子は吃音(どもり)気味に名を名乗り、何とも言えぬ恥じらいのなかで、勝田が促す安楽チェアに身を沈めることになってしまったのだった。
 
勝田に悟られまいとしながらそっと視線をあげてみる。そこには、ダンディな勝田がブルースカイブルーのストライプのシャツと濃いグレーのベストをまとって、直子が差し出した問診票を読んでいる。直子は超マッハのスピードで、美しき若葉の季節に戻っていった。
 
私の年齢のことを考えれば、百田寿郎よりも勝田先生のほうがリアルかも……。直子のこころの声である。
 
 
「なるほど。耐えられない痛みとか、一刻も早く取り去りたい症状があるということではなさそうですね。何となく疲れやすかったり、倦怠感があったり、たまに頸・肩・腰などに凝りを感じる。そういう理解でよろしいですかねぇ?」
 
ゴージャス感のあるシルバーの眼鏡越しに、勝田のつぶらな瞳が直子を見つめている。虫の泣くような声でかろうじて「はい」と答える直子。ゆっくりとしたスピードで、言葉や表現のひとつひとつを選んでいるかのように物静かに語りかけてくる勝田。直子の瞳は、もうすっかりハート型になっていた。
 
 
私どもは、みなさんの慢性的な痛みや疲れを取り除くお手伝いをするために尽力しています。なかなか診断のつかない痛みや疲労感はつらいものです。その原因を患者さんとともに探り、根本的な治療をしていく。それが当院の基本的な考え方なのです。
 
いまは問題がなかったとしても、人間を長いこと続けていると、いろいろな不具合が生じてくるものです。そのなかでも、痛みを伴う場合は特にストレスの素になりますよね。これは、生活習慣(生きざま)が歪んだ結果、細胞がコゲたり(糖化)サビたり(酸化)、血液の流れが悪くなってしまったり…。それらが原因である場合がほとんどなのです。

そして、こうした痛みや疲労を放置しておくと、がん・心筋梗塞・脳梗塞・認知症などの重篤な病気に進行してしまいかねない。慢性的な痛みや疲労は、私たちのカラダが「注意しなさいよ」とシグナルを送ってくれている。そう考えていいと思います。
 
私どもでは、治療に当たっては、目先の痛みを取るだけでは十分ではないと考えています。患者さんの将来を見据えて、健康長寿にも配慮した医療を心がけています。その視点に立って、日々の生活習慣、すなわち、食事や運動、睡眠などをトータルにコントロールしていきます。悪しき習慣を是正しないと、痛みや疲労を根治することはできませんからね。生活習慣の主体であられる患者さんご自身が、自らの生活習慣をよく見つめ、どこをどう変えていくべきなのかを知る必要があるのです。
 
そのために、私たちは、患者さんへの教育を積極的に行っています。私たち医療職は、それをサポートします。治すのは、あくまでも患者さん自身です。セルフコントロールが重要なのです。この点をきちんと理解していただくことがとても大切だと考えています。
 
そこで、井之頭全人医療クリニックに通院する患者さんには、「患者大学」という啓発講座に参加いただいています。こうした会に積極的に参加される患者さんほど、改善効果が早く出るというデータが出ているんですよね。

勝田の心地よいバリトンに、直子のロマンティックがとまらない……。
(To be continued.)

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