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相棒との200,000km

見てくれこの可愛い姿を!


私の相棒のとっても可愛い車。
三菱のパジェロジュニア、フライングパグモデル。
1995年製で、なんと1000台限定生産車。

ごく稀に同じ車に遭遇する。
色違いもいた。
すれ違う時には軽くクラクションを鳴らして合図し合う。
あの瞬間が結構好き。
最近は機会が減ったけど。

そんな可愛い相棒と20万kmを走ってきた備忘録。

20万kmの瞬間は千葉外房の海沿いを走ってる深夜だった



私の顔見知りの方々は
この車を見た事がある人も多いはず。

しかしこの車、私が買った車じゃない。

母親が父親に黙って買った、
母の秘密の車。

母が、自分はほぼ運転しないくせに買った車。
多分当時の母の彼氏が運転する事が多かったと思う。

当時3歳くらいだった私も、
とても可愛い車だなと思った。


ある晩、父と母が喧嘩した。
父が怒鳴る。母が泣く。いつもの事だった。

両親が喧嘩した時の
心臓がフワフワする感じがめちゃくちゃ嫌いだった。

父の方が悪い事を沢山しているのに、
いつも母だけが謝ってたのをよく覚えてる。
多分母も悪いんだろうけど、両成敗には思えなかった。


私はあの車のキーの場所を知っていた。

自家用車のキーは玄関のカゴにあるけど、
あの車のキーは庭に置いてあるレンガの置物の下。

私は大好きなセーラームーンの毛布を片手に泣きながら家を出て、庭のキーを手に取り、あの車で夜を明かした。


玄関先にある自家用車ではなく、
わざわざ少し離れた駐車場にいる秘密の車を目指した私。

自家用車は父の所有物だった。
母と買い物で自家用車を使った時も舌打ちされた。
だからあの車は私の逃げ場所じゃなかった。

次の日、
母の目は腫れ、顔も身体も傷だらけだった。
いつもの事だった。


公園で遊んだ帰り、保育園の帰り、
秘密の駐車場の前を通ると笑顔になれた。

友達に「これはウチの車なんだよ」と自慢もした。
子どもって本当に怖い、秘密を喋ってしまう。
子どもたちの伝言ゲームによって、
この車を知ってる同級生の親御さんたちもいただろう。笑


車と離れ離れになった時期もあった。
母は恋人と、あの可愛い車と一緒にいなくなった。
色々と限界だったんだと思う。

恐ろしい父親との楽しくも切ない生活や、
そんな父親とも離れて近所の寿司屋で過ごした幼少期は
また別のお話。笑

大丈夫、私は今幸せに生きてる!



月日が経ち、母と再会出来た。
もちろん可愛い車も一緒。凄く嬉しかった。

母はいなくなっていた間、金を稼いでいた。
働いたことのなかった母が必死に働いた。

そして念願の小料理屋を銀座に開いた。
密かな夢だったらしい。

華の銀座で、あのコロナ禍を乗り越え、
店は今年でもう20周年になる。すげーや。

私の母は本当にかっこいい女性だと思う。


話が逸れた。。。


休日に出掛ける時はいつもこの車。

前述通り母はほとんど運転しないので、
運転は母じゃなかった。

母の新しい恋人がよく運転していた。
その人は今でも私の大好きな人の1人。
子どもの私は後部座席を独占。さながら秘密基地。
家族みんなで車に乗るという初めての感覚。
とっても幸せだったのを覚えている。
ごめんよ親父。


免許を取ったのは18歳。
初めて運転した日は台風で超絶大雨。
急遽友達を駅まで送るミッション。

3歳で出会ってから15年越しに初めて乗る運転席。
教習所の車より目線が高くて運転しやすかった。

結局ワイパーのやり方が分からないまま完遂した。笑

免許を取ってからは、
この車は私だけが運転するようになった。

たまに母の彼氏にゴルフに連れて行かれてしまうけど。笑



大人になって仕事をするようになった。
仕事柄、どうしても荷物が多いから沢山手伝ってくれた。

学生時代よりもいろんな友達や知り合いが増え、
遊びに行くにもいつも一緒。

いよいよ本格的に相棒になってきた。
超絶インドア派の私のケツを叩く存在にもなった。


家族とご飯を食べに連れてってくれて。
父に久しぶりに会いに行ったり。
彼氏と喧嘩した帰り道だったり。
友達と遊んだり、幼馴染たちと旅行した時もあった。
仕事でいい事があった時の音楽爆音ドライブ。
仕事でうまくいかなかった時の深夜ドライブ。
仕事仲間を乗せた時も何度もあった。

小道具のバズーカや拳銃や刀を大量に乗せてて、
警察に止められて職質されたこともあった。笑



この相棒、
私の酸いも甘いも全部見てきたんだな。



当て逃げされたこともあったな。

買い物から帰ると駐車場で無惨な姿。
左折の巻き込みか、車体にパーツが折れて刺さっていた。
すっごくショックだったのを今でも覚えてる。

当て逃げした人、元気してんのかね。笑


そういえば、去年ミッションを交換した。
昔のミツオカ自動車の噂さながらの坂の登り具合と、
寒い冬はなかなか走り出さないのが定番だったから。。
(ミツオカ大好きです!)

ミッションを交換した今は、どんな坂もお手のもの。笑

突然の雪もへっちゃらな四駆です


ミッションを交換して戻ってきた翌日の話。
早速片道75kmのロケ現場があった。

ウキウキで運転していると、
高速道路で水温計の警告灯が点灯。

オーバーヒートを避けるため、SAで少し休ませた。
それから二度と点灯する事はなかった。

久しぶりの運転に嬉しくなって頑張りすぎたか?
としか思えなかった親バカでお花畑思考な私。

一応その後検査してもらったが異常は見つからず。
なんか感情持ってるみたいで可愛いすぎる。

なんだったの?詳しい人教えて欲しい。


私はこの車が好きなだけであって車好きとかではない。
だから車の事はよく分からない。
てか全然知らない。

色んな人の意見を聞きながら、
整備士の兄ちゃんたちお世話になりながら、
詳しくないなりにも直し直し大切に乗っている。


信じられないくらい方向音痴で忘れっぽい私でも、
どこにいてもすぐわかるこの車の見た目が大好き。

他の車に乗ってる自分が想像できなくて。
この車といつまでも一緒にいたい。


私が365日毎日運転してもう10年以上経つのに、
無事故のままゴールド免許を保持し続けられているのは、この車にはもう守護神でもいるんだと思う。

甘んじずに引き続き安全運転を心がけよう。


そんで守護神(笑)のせいなのかは分からないが、
この車の中で「古い」だの「おんぼろ」だの「ポンコツ」だの言おうもんなら、翌日車は動かなくなる。

何故かバッテリーが上がっていたりする。
絶対会話が聞かれてる!笑

だから口には出さずとも、
いつも「可愛い」「かっこいい」「ありがとう」「お疲れ様」って思うようになった。

数十年の運転と、私の撫ででハンドルはもうツルツルよ。


さて、タクシーの廃車は45-50万kmらしい。
数字的にはまだまだ遠いが、大切に乗り続けたい。

ひとまず成人式のような区切りとして、
20万kmを一緒に生きてきてくれて
本当にありがとうって備忘録。
下手くそな文章でごめん。


たかが車に何を熱く語っていると思われるかもしれないが、私にとっては人生を一緒に過ごしてきたから。

私の人生を多分誰よりも一番よく知る兄弟のような存在。
これからの私にも欠かせない存在の相棒。

祖母と2人暮らしの今、
祖母の助けにもなれてる相棒。
今日もかっこいいぞ。


まだまだ思い出を一緒に作っていきたい!!


もしどこかで見かけたら、是非乗ってあげてほしい。

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