恩繋ぎ

個人的に、恩返し、という言葉がどうにもしっくりこない。
恩返しって、結果的にそうなっていることを表すような気がする。恩を返す形になっていた、みたいな。

矢印の方向はあくまで一方通行。
何かする時は、自分から相手に矢印が伸びるけど、逆向きの矢印は存在しない。
つまり、見返りっていうのは無い状態。

仮に自分が何かすることで相手に何か役に立つことがあったとしたら。
相手は相手の影響の中で、何かが活きればそれでいいなーって思う。
逆に、自分が何かしてもらって恩を感じても、そこで得たものを次に活かそうって思うだけ。

恩を返そうって考えるのは、相手に重荷を背負わせる事になる感じがあって。
さらには、その重荷で自分も縛られてしまう。
恩は繋がっていくもの。
結果的なもの。

それが周り回って恩をいただいた人に返ることもあるけど、結果的にそうなっているだけ。

混同しがちだけど、気持ちとシステムは切り離して考えないと分からなくなる。
商売とかは何かを売ってお金を頂く。
これは双方向に見えるけど、あくまで仕組みなだけ。
気持ちとしては常に一方向と一方向。

こうやって、自分から相手に向かう気持ちの矢印だけを持ってる人が集まると、ずーっと人から人へ、ぐるぐる恩は回っていく。停滞しない。循環し続ける。

そして、結果的に自分も得してる、ってことが多い
考えてみれば、そりゃそうだよねーって話なんだけど。
相手を良くしたい、勝たせたい、って思って行動して、された人がまた自分の周りの人にそうやって思って行動して、ってのが続くと、数珠のように恩が繋がっていく。

その数珠の連鎖は全員別々の人とは限らない。自分が何度か途中に入るかもしれない。
これが、周り回った恩が結果的に返っている状態。

だけど、繋がなきゃ!って感情に縛られる必要もなくて。
本当に恩を感じた場合、意識せずともそれは染み付いてるもの。
その、アップグレードした自分で生きていけば、そのアップグレードの影響は自然と人へ繋がる。

結局のところ、テクニック的なものではないっていう話。
上辺の頭脳や意識でどうこうではなくて、無意識の心の根底で人をどう考えているかっていうところ。

恩返しはしない。
もらったものを、自分で咀嚼して、血肉にして、そんな自分で生きていくだけ。

恩返しはいらない。
あげたものを、その人なりに咀嚼して、血肉にして、生きてくれればいい。

それだけ。

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