自分で選ぶ、ということ

何かを自分で選ぶこと、選べること、って楽しいなあ〜と思ってる。

思想や行動を、制御されることがないっていうのは、精神的に自由で居られるから。
もちろん、その時代のルールとか法律とかの範囲内、っていうのはあるけど。

自分は根本的に独りが好きっていうのがあるんだけど、それもここからきてる気がする。
しがらみや気遣いが限界まで少なくて、自分が思った時に思ったことが出来るなんて、どんだけ恵まれてることか。

ここに幸福点を置いとくだけで、自分の時間で何をしようと、その時に自分で何かを決めてやった時点で全てが意味のあるものになる。

だって、決めることが出来ている時点で幸せだから。

そうなると、他責なことを自然と思わなくなる。
基本的に、決めた自分のせい。
逆に言えば、自分がちゃんと決めれば良いだけ。

それはきっと、自由と責任は対になってるから。

雪の日に滑って転んでも、自分の注意が足りなかっただけ。
人に嫌なこと言われても、その人と関わるような環境を選んだのは自分。
国で何かが起きても、その国に住むと決めたのは自分。

選べる以上、選べば良いだけ。

流されるように生きないこと。

全てのことに対して、本当の意味で「自分」で選択することで、その幸せも責任も自分で味わうことが出来る。

コントロールできるのは、自分だけ。

自分以外の人や環境は、コントロール出来ない。
物理的に、不可能。

自分の選択を大事にする。
選択自体に価値があるという価値観を持つ。
そうなると、自責の感覚も自然と出て、他者の選択も大事に出来る。
尊重できる、とも言う。

嫌なところにいるなら、別のところに行けば良くて。
嫌な人がいるなら、関わらなければ良い。

そんな単純じゃないよ〜、とか
いろいろ難しくて〜、とか
忙しくて〜、とか

よく聞くけど

単純じゃないように考えてるのも自分
難しくしてるのも自分
忙しくなるような人間関係や行動を選択してるのも自分

こういうのって、紐解けば結局単純で、AをBで解決できるなら、Bをするだけの話なんだよね。

何かを抱え過ぎたりすると、きっと、そんなシンプルなものの周りに沢山の装飾が施されちゃうから、その核が見えにくくなるのかもしれないけど。

身の回りにある、目に見えるもの、見えないもの含めて、そんなに大事なことって沢山あるのかな?

どれもこれも、装飾を外していけば、大事なことってそんなに沢山ない気がするんだよね。

きっと、自分で選んで生きている人は、過去に固執しない。
過去に戻りたがらない。
過去を後悔しない。

今と先が常に楽しくて、物理的に過去に意識を置かないから、そりゃそうなるよなあっていうだけの話。

さらに、自然と

精神的に自立する。
個性を尊重するようになる。
大事なことはそんなに無いと分かるから、大抵のことは小さいことになる。

こう考えると、自分で選ぶ、ということがどれだけその人間性に影響を与えるか。

根幹のシンプルな1つの価値観が、その上に乗る装飾となる人間性の大部分を決めているだけ。
装飾部分はおまけ。
そこをいくら小手先で変えても、根っこが同じなら大きく変わらない。
つまり、装飾はあんまり大事ではないっていうことになる。

結局のところ、大半はシンプルもので成り立ってる。
そういう核となる根っこを押さえれば良くて。

今、自分が何をするかは、自分で決めれば良いだけ。
そうやって決めて考えたことや、行ったことは、どれも同じだけ価値がある。
その選択の結果、他人に良い影響を与えるようなことをしたら価値があって、そうでないことは価値が無い、っていうわけじゃない。

全部、同じ。

見るべき部分は周りとか他人じゃない。

「自分で選んだ」という部分を見る。

そこに、最大の幸せがあるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?