平家物語より

先日、愛知県で平家物語の学習機会があった。
諸行無常
六道
など
学ぶものが多かった。
最後の課題で
具体的に記述すべきなのに、あまり要点を得ないので
今回は、単位は見送りかもしれんが、そしたらまた受ければいい。

万年大学生も20年を超えると、なかなかベテランか

で、なにがわかったか

一つは、

諸行無常 永遠と同じ状態は続かない。
人間は年を取る
ほぼ同型のDNAのはずなのに、自らの愚息を
わが者のごとく操つることは、できぬのに
欲をすてることが
一番らくである。

必要としている人は、
無限と要求してきたら、後でその行為が
ベクトル的に大海とは、反していたと
気づくのであろう。

働くとは
端が楽になってもらうように行動しようと
考えている。

なかなか、実行はできないんだが
まだまだ修行だな。
楽しい修行だからつづくのだ。

孔子も「楽しい」ことが一番と言っておられる

顔回のような生き方が理想だろう。

なぜ、平家物語で論語なの?
論語も、ブッタも過去の人である。

平家物語は、フィクションであるが
その記述の微細な動きや所作には
人間の、心底にある、欲望と
どん欲なまでの
執着であろう。

かこと

心がけているが
なかなか実践はできていない。


かたよらない心


こだわらない心


とらわれない心

無と空であろう。

この文も
タイトルも、なく太字もない

なにもいらん。

こだわりもない。

それでいい


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