マテリアルクラブ「00文法」に対する雑感

Base Ball Bear 小出さん主宰のマテリアルクラブによる楽曲「 00 文法」が 9 月 5 日にリリースされまして。ロッキンノンの記事にもあるけども、打ち込みを主体とした曲もさることながら、何と言っても歌詞が素晴らしい…!ので、その歌詞を紐解い…ていくなんてのは、俺の知識では全く叶わぬことなので、思う所のあるフレーズを引っ張りつつ、雑感を書き散らかしていけたらと思う次第であります。
 歌詞についてはサブスクで確認できているものを、正しいものとして、それに沿って行いたいと思います。繰返しになりますけども、俺は小出さんが大いに影響を受け、引用元にするであろう 90 年代の日本語ラップなどに全く通じてないので、それも拾わねえのかよと言った感じかとは思います。
 歌詞全体には各サービスで確認していただければ。

「言の葉ゆれるのを感じな」
 小出祐介という人は、つまるところ言葉の人であり、詞の人であると考えている。詩集をすでに二冊出しており、キンキキッズなど外部への仕事もござれな調子である。曲を作るときも初期は ( 確か ) 歌詞から作っていたと言っていたような…。で、詞 ( 歌詞 ) というものはただの言葉の列挙ではなく、声に出して読む、メロディが付くものであり、韻律やリズムが付加される。そして、それによって時には意味合いやニュアンスが多様に変化する。「言の葉ゆれるのを」というのは、風に葉がゆれるように、意味合いが変容していく様、リズムが付与される様を、聴き、感じ取ろうぜという話だと感じた。


「書き足してゆく ユグドラシル」

 「ユグドラシル」とは北欧神話に現れる大樹のことであり、「言の葉ゆれるのを感じな」の一節の流れの中にあるものといえよう ( この前の「言わば枝葉」の一節も同様に ) 。


「走る青ペンが描く言葉の風景画」

 何故「青ペン」であるか。昨年 2017 年にリリースされた、小出さんの手による楽曲 4 曲を収めたアイドルネッサンスの EP 『前髪がゆれる』の収録曲「 Blue Love Letter 」に「青い文字は忘れにくいって聞いたから 青いインクで書きます」という一節がある。現在の東京が「かつての東京」と呼ばれる未来においても残る/忘れられないようにという希望と、そのくらいの強度のものを作ろうという意志が見出される。
よく「情景が浮かぶ歌詞」とかいったような歌詞に対する評価がある。そして、小出さんはラジオとかでユーミンの歌詞等情景を切り取った優れた歌詞について「一枚絵」と表現している。「言葉の風景画」とは、先述のように評されるような技術を以て、言葉による「一枚絵」を作り上げるということか。


「世界が終わり 人もいないし 文明もない 荒れた校庭 投げ出された机 に、彫られたフレーズ それは俺ので」

 この部分は、確実にこの小出さんのツイートの文言と重なる。以下の文言である。

200 年後くらいのディスクガイドに自分のバンドのアルバムが 1 枚紹介されてたら嬉しいし、 2000 年後くらいに文明が滅んだとして、人もいなけりゃ音楽なんかもう無いんだけど、棄てられた都市の学校の校庭に積み上げられた机に既に作者不明な自分の歌詞がワンフレーズ彫られてたら嬉しいですね

 誰もその歌詞の作者は知らないんだけども、確かにその一節を好む「誰か」がいて、想像もし得ない未来に息づく可能性を述べたものである。この世界観は諸星大二郎だろうか、藤子・ F ・不二雄だろうか、星新一だろうか、安部公房だろうか、の SF 的世界観ではあるものの、私はこのツイートを見て、真っ先に大滝詠一の顔が浮かんだ。大滝の死後にリリースされたベスト盤のナタリー記事の中でスタッフが「大滝さんの理想は「詠み人知らず」ですから。歌としては 100 年、 1000 年と残ってほしいけど、それを誰が作ったのかは関係ない。曲が残ればそれでいいという発想を持った方だったので。」と述べている。実際、「夢で逢えたら」を筆頭に大滝詠一の曲はカバーされまくっておりその匿名性は高く、今も「君は天然色」が飲料の CM に使われるなど、「誰の歌かは知らないけど聞いたことある」というものの代表と言えよう。
 小出さん自体が現時点でこの境地に行き着きたいのかは推し量りかねるし、「 FICTIONONCE MORE 」で「君が僕を認めるような曲を書こう」と、曲と「僕」とを結び付ける意識が強いことが歌詞からうかがえるのではあるが。しかしながら「 17 才」などの曲がアイドルネッサンスにカバーされており、ベボベの曲は少しずつ「ベボベだけ」のものではなくなってきつつもあるのではないだろうか。ベボベも今やメジャー活動期間も 10 年を超し、今年は近しい存在もチャットモンチーのトリビュート盤もリリースされた。これから何年かの間にベボベのトリビュート盤がリリースされたりすれば、ますますこの一節のようになっていくのではないか。


「浮かぶかつての東京 って想像 実現し得る技術 と、信じてやってきた此の方」

 ある「かつての東京」をその卓越した作詞「技術」によって聞いた者に浮かばした第一人者として、松本隆がいることは間違いないだろう ( その達成は特にはっぴいえんど『風街ろまん』に見られる ) 。松本隆と言えば、小出さんがかねてからその影響を述べ、畏敬の念を送っている日本の大作詞家 ( クオリティ、影響力、活動歴の長さ、売り上げ枚数などの観点より ) である。松本隆が ( 特に『風街ろまん』で ) 作詞した「かつての東京」というのは、東京オリンピックによる区画整理などで消えて行った、「東京オリンピック以前の東京」であった ( それを、または東京など「都市」というものを「風街」と松本隆は表現 ( なんという表現力… ) するのだが ) 。そして今、我々が立たされているのは?もう詳しく述べなくとも、というところであろう。この前の一節も鑑みると、「かつての東京」の指す「かつて」の範囲は広くなるが、松本隆のように小出さんも「かつて、こういった「東京」があった」ということを作詞していくという気概を持っているということではないだろうか。


「「型」じゃない カタログでスタイルを選ばない」
  realsound でのアゲハスプリングス玉井さんとの対談の中で小出さんは最後にこのように述べている。

いろんな感性があって、いろんなやり方があって、いろんな音楽があるはずなのに、結局人が「いい」と思うものにパターンがないからそれらがまとまってしまう。そうしたら、似たものしか並んでないから、結局横並びになる。もし、逆算的な物作りが蔓延してしまったら、そうなるもしれないという危惧はすごくありますね。で、それに対してうちのバンドはどういうスタンスで行こうかを考えているんです。僕としては、そういうことに対して「それでもやっぱりさぁ!」って思い続けたい。それでもまだ何かあるんじゃないかって、それでもまだ何かできるんじゃないかって、ずっと思っている。だから意地になってバンドをやってるんじゃないかなって思いますね。

「シティポップ」というくくりなど、そのくくりであれば「良い」とされるものが、時代によって流転し、細分化、変容していくものの、常に存在する。しかしながら、小出さんは有り物のくくりの中でのクリエイトはどうなのか?と危惧を抱く。この意識というのは後半の「「型」じゃない分厚いルーズリーフに学びな」という部分からもうかがえる。


「我慢できなかったら それが本当のダンスだ」

フォロワーの方が即座に反応していた一節で、完全にトリプルファイヤー「カモン」を踏まえた一節である。トリプルファイヤーについては、先述の HUB 棚の中で「今聞くべきバンドはペトロールズとトリプルファイヤーしかいないんじゃないか ( 大意 ) 」と言っているほどに評価していて、特にその作詞能力を高く評価している。


「流布、そしてループされる その共通のイディオム  2000 年の下北沢から変わんない」

 小出さんは『 C2 』リリース時のナタリー記事でこのようなことを述べている。

── ( 前略 ) 「二十九歳」ってどういう位置付けのアルバムなの?

小出 それこそこの間のインタビューのときに宇多さんと話した NUMBER GIRL 以降の日本のギターロックと言いますか、 1990 年代後半から 2000 年代初頭直系の日本のギターロックを最大限にやろうとした作品ですね。ギターロックの歌詞の内容っていうとまず、自分語りがあると思うんですが、曲に乗せて自分語りしていくと、まあ、自己陶酔してくるわけですよ。でも僕はそれを自分自身に嗅ぎ取ると、イヤになってきちゃうんです。だけど、「二十九歳」は 16 曲っていうロングストロークで、自分を騙しながら自分語りをすることで、“ギターロック的”であることをとことんまで追求してみたんです。で、やりきってすっきりしました。

「 2000 年の下北沢から変わんない」「共通のイディオム」というのは、まさにこの部分の事、「自分語り」のことであり、それ以上の説明が不要だといえよう。そしてその「共通のイディオム」は「 2018 ××××でも変わんない」と続く。「カタログでスタイルを選」んだ結果こうなっている、とでもいうのだろうか。


「ひらがな~幅い箱に詰めんだ」

 むかーしむかしに「日本語ロック論争」があったように、日本語はロックに乗らないなどと言われて久しい。しかしながら、音という「幅い箱」にどう詰めていくかという思考錯誤を絶やしてはいけない、ということであろう。


「体系試すような冥府魔道」

特に「冥府魔道」というワードにはひっかかる。『 C2 』リリース時にタワレコとコラボして行った企画「 HUB 棚」で、小出さんは筋肉少女帯「混ぜるな危険」に触れていた。この曲の歌詞の中でも「冥府魔道」というワードは出て来る。勿論、彼の心霊・妖怪・異界趣味によるワードセンスによるものでもあろう。もっと言うならば、その前の「心の模様」「このフロウ」、その後の「見えるだろう」との韻律の中に置かれているだけかも知れないが、これまでの活動が息づいているような感じがして、妙に気に入っている。


「醜いロックの子に見えるだろうが」

 これは確実に、というかどう考えても「醜いあひるの子」を踏まえた一節であるが、とすると?本当の姿は何であるか?その姿はこの先はっきりしていくのだろう。


「作りだす New 辞書」

 「 SHIMAITAI 」で「新しい形容詞をつくってしまい太陽」とあったが、ここでは「 New 辞書」を作るとまで述べている。そのためには「水平思考」「次の時代の文法」が必要であるし、それは他の誰かが作ってくれたものに乗っかるのでは得られないのであろう。


などと、過去の発言を適宜引用しつつ、さして推敲もせず書き連ねました。
ではでは。

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