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第2章(1)

『金の鳥 銀の鳥』【作品紹介】

 七年前、嫡男でもない自分に家督相続の話が持ち上がったとき、俺はそんなのは道理に合わないと、父と祖父をまえに憤りも露わに反駁し、決定の撤回と再考を求めた。真っ正面から正攻法でぶつかっていった時点で、俺もまだ世間を知らない青二才だったわけで、老獪(ろうかい)極まる海千山千のふたりに到底かなうはずもなかったのだが、そのときは自分なりに必死だった。家名を継ぐに相応しい男子がいないというならともかく、シルヴァースタイン家には、正統な血を受け継ぐ二歳年上の兄、アーサー・クリス・シルヴァースタインが存在し、さらにはエドワードという三歳年下の弟も控えていたからだ。

 アーサーやエドワードが、陋劣(ろうれつ)非道にして蒙昧(もうまい)な無能者であったなら話はまたべつだが、いずれも名家に相応しい品格と知性を備えた、優秀で高潔な人格者だった。
 幼いころに本家に引き取られ、彼らとなんら分け隔てなく育てられたとはいえ、たった一度、親父が行きずり同然の女にかけた情けでこの世に生を受けた自分に、出る幕などあるわけもなかった。俺は最初から、彼らとおなじ舞台に上がるつもりなど、毛頭なかったのだ。

 親父も祖父さんもどうかしている。

 シルヴァースタイン一族次期頭首の筆頭候補が自分であると聞かされたとき、だれより耳を疑ったのは、ほかでもないこの俺自身だった。

 当時の俺は、在籍した大学院の博士課程もとうに終えてはいたものの、これといってしたいことも見つからず、社会に出て独り立ちしようにも、シルヴァースタインの名が足枷となって思うように身動きが取れない半端な状態に置かれていた。一族系列の事業経営に本腰を据えて加わるよう、父だけでなく兄にも勧められていたが、一度その中に足を踏み入れてしまえば、二度と抜け出すことができないだろうことはわかりきっていた。
 アーサーという次代の支柱が充分に機能して一族の調和を保っている以上、その調和を乱す火種になりかねない自分が、のこのこしゃしゃり出ていく気には到底なれなかったのだ。

 上品で優雅な上流社会も、裏を覗けば表面の華やかさが一瞬で消し飛ぶほどの腐臭と汚物にまみれている。いかに巧みにライバルを蹴落として、より高位に、あるいは優位に昇りつめるか。つねに権謀術数が張り巡らされ、底意地の悪い陰口と、真実が見えなくなるほど装飾された尾鰭(おひれ)に縁取られた噂話が、絶えずそこかしこで一人歩きしていた。
 俺が事業経営に加われば、必ず面白可笑しく話題にする輩が現れるわけで、そうなると、本妻筋と妾腹(めかけばら)の庶子とのあいだの骨肉の争いなども期待され、変に俺を盛り立てて勢力を二分しようとする輩や、兄弟仲を割こうと目論む連中のあいだで、よからぬ動きが出てきて、強制的に御家騒動に発展させかねないところがあった。わかっていたからこそ、卑しい愛人の息子風情がと陰口を叩かれる身で、そこまで厚顔にはなれなかった。

『ラルフ、お父さんとお祖父さまの期待を裏切ってはいけない。おまえがずっと僕らに遠慮してきたことは知ってたよ。だけどもうこれ以上、自分を殺して僕らの陰に控えるような生きかたはやめてほしい。せっかくそれだけの才幹に恵まれているのだから、僕に遠慮などせず、堂々とシルヴァースタイン家次期当主の――しいては一族の頭首の座に就いてほしい。あまり我儘を言ってはいけないよ。僕は、おまえが選ばれたことが心から嬉しいし、だれより祝福しているのだから』

 アーサー……。

 やりたいことも見出せず、家族の愛情と期待に押し潰されそうになりながら、『シルヴァースタイン』という煌びやかな衣装を纏った魔物に呑まれかけていた日々。
 そんなとき、社交界どころか世界中をも驚愕に陥れる激震が駆け抜けた。
 その美貌を『人類の至宝』とまで謳われ、つねに世間の注目の的とされてきた、イザベラ・グレンフォードの突然の訃報である。


 グレンフォードの名が《メガロポリス》で擡頭(たいとう)するようになって五〇年。
 ウィンストン・グレンフォードただ一代によって巨億の富と権力を築き上げた新興勢力は、瞬く間に世界を席巻し、その中枢で《グレンフォード財閥》として君臨するようになっていた。

 イザベラは、その政財界の怪物、ウィンストン・グレンフォードの二番目の妻であり、最初の妻が夭折して以降、しばし独身を謳歌したウィンストンが、六〇の坂を越えてから迎え入れた若妻であった。

 グレンフォード家に輿入れした当時の年齢はわずか一六。
 夫とは四六もの年齢の開きがあり、一四人いた義理の子供たちの大半が彼女より年上だった。

『グレンフォード王朝の後宮の花々』――前妻の存命時から派手な女性関係を隠すでもなく、公然の事実として奔放に振る舞ってきたウィンストンは、上流階級での地位を確たるものにしてからはなおのこと、スキャンダラスな生きざまに注目が集まるようになっていた。いまから思えば、それもまた、人々の関心を絶えず自分に集めておくための、ウィンストンなりの策略だったのだろう。

 ともあれ、正妻とのあいだで望めなかった後継者は、一四人ともがすべて、別々の愛妾たちとのあいだで設けられており、それについてもいっさいの箝口令が敷かれることもなく、周知の事実として一般に行き渡っていた。そういう点では、親父のただ一度の過ちで出来た俺の存在など、まだ可愛いものだったかもしれない、などと言っては、本妻である育ての母に怒られるだろうか。

 魔性の女。現代のシンデレラ。

 世間の耳目をつねに集める存在であったグレンフォード一族の中にあっても、桁外れの美貌を備えたイザベラ・グレンフォードは、一般からの輿入れ以降、ひときわ人々の関心を集め、話題を攫う特異な存在となっていく。

 あの放埒な男が、ついに若妻ひとりに骨抜きにされてしまった。

 社交界で囁かれるようになったその噂は、イザベラがほどなく身籠もり、男児を出産したことでますます拍車がかかり、一時はもちきりとなったようだった。しかしながら、俺の眼には少しも、ウィンストン・グレンフォードが年若く美しい妻に心を奪われているようには見えなかった。むしろイザベラが、夫の財力でこれみよがしに磨き上げられ、飾り立てられて見せ物にされるさまは悪趣味以外のなにものでもなく、冷徹にして老獪な老人は、いいように翻弄されて騒ぎ立てる愚かな観衆をひそかに観察し、ほくそ笑んでいるように見えた。

 空虚な微笑みで人々を魅了してやまない美しい着せ替え人形。

 人々の輪の外から時折遠くに眺めるうち、そのガラスの瞳の中に狂気と毒を感じるようになったのは、いったいいつごろからだったろう。曖昧な記憶の中、漠とした印象が核心に変わった瞬間だけは、いまでもはっきりと憶えている。

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