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小松左京『題未定』と日本のアイデンティティ・クライシス

 小松左京の『題未定』の初出は「週刊小説」1976年8月16日号から10月4日号まで掲載され、単行本は1977年2月に実業之日本社から出版されている(使用しているテキストは1980年3月に上梓された文春文庫版)。
 雑誌連載という形式を利用して、締め切りに間に合わず作品の題が決まらないまま見切り発車してしまったというていで書き出されているために、冒頭から「週刊S」の編集部のM君が登場して小松本人に原稿を催促している様子がそのまま描かれている。
 そんな時に二ヵ月未来の小松左京から手紙を受け取り、目の前に現れた男性について行って円盤に乗って行った先はワイキキ通り、クイン・カピオラニ公園の角にある「ピノのレストラン」である。そこで時間軸が狂って「現在」は8月12日になった(p.72)と記されている。
 ところがすぐに小松は時空間移動管制局の許可を得て、時空を超えて、「670年ごろの、近江おうみ京の時代」に到着し、天智天皇崩御後の大友皇子と大海人皇子の諍いである壬申の乱が起こっている。
 その後、熊津山宮古くまなれのむれみやこと名のる男によって森宗意軒もりそういけんが関わっている島原の乱が起こった1630年代に送られる。
 出だしこそダジャレまで駆使してグダグダを装っているのだが、ここの三つの地域の歴史のエピソードはかなり綿密に調べられているはずで、よくよく考えてみるならば、最初は真珠湾攻撃(1941年12月8日勃発)の暗示でアメリカによる、二番目は天智天皇が仕掛けた白村江はくすきのえの戦いによる唐と新羅による、三番目はキリシタンによる、いずれも日本のアイデンティティの危機があった時代と場所なのである。だからタイトルの「題未定」とは小説が書けない小説家と同時に日本自体のアイデンティティの不安定さを暗示しているのである。
 小松左京が『日本沈没』を上梓したのが1973年だから小松が作家として絶好調だった頃に試みたメタフィクションといえる。
 最後は「題未定 マイナス一回」という章タイトルで終わっており、意味がよく分からないのであるが、雑誌掲載時において書かれていた「今週のためいき」「今週の怒り」「今週の憂い」というような担当者Mの「ツッコミ」が文庫版で省略されているのでよく分からないのである。章タイトルの前に書かれていた「今週の恐怖」という文章を『小松左京全集完全版19』(城西国際大学出版会 2013.11.30)から引用してみる。

「題未定」と題をきめて、連載は終った。担当者この二ヵ月間の肉体的精神的重圧からついに解放されたのだ。だが、もうひとつ深い解放感がない。これはどうしたことか、と考えた時である。まさか! 私はぶるっとして最終回の生原稿をとり上げた。ギャーッ! この物語は、結局また最初に戻っているのだ。題未定のまま、二ヵ月前に戻っているだけなのだ。また、早く題をきめてちょうだいよ、と小松氏に……。イヤだ、もうイヤだ。あれほど編集者を恐怖におとし入れたって何にもなりませんよ、と言っておいたのに。(担当者M)

『小松左京全集完全版19』p.114

 因みに小松左京の『題未定』が現在どのように評価されているのか知りたくて、評論家の宮崎哲弥の『いまこそ「小松左京」を読み返す』(NHK出版新書 2020.7.10)を読んでみたのだが、『題未定』はガン無視だった。『日本沈没』が未来の物理的な日本の沈没の描写であるのに対して、『題未定』は概念として過去に「日本沈没」しかけたことを描いており、この二作は対照的なアプローチによる同一テーマであるはずなのに。