クソゲーと化してしまった三国志大戦 その2

三国志大戦を救いたい。

※クソゲーという言葉を使っていますが基本的には自分は三国志大戦の大ファンです。

再びクソゲーと化してしまった三国志大戦。またしばらくは休止する予定だけど、もう引退するかもしれない。なぜクソゲーと化してしまったのかの理由を書きたいと思う。

少し前に「クソゲーと化してしまった三国志大戦」と言う記事を書いた。
https://note.com/j_ogawa/n/n21e2188577be

この内容としては「リスクなしに効果の高い行動をとれる」という三国志大戦のルールを脅かすカードが登場し、その存在が許され続けているというものだった。該当のカードであるR張春華とSR槍呂布はその後修正されることになり、平和が訪れた。(SR槍呂布に関しては修正まで半年以上かかると言う謎な状況が続いた)

しかし、またここにきて再びクソゲーと化してしまったのである。

司馬徽という「リスクなしに効果の高い行動をとれる」種類のカードがまた出てきたのである。といっても、昔のR張春華ほどのクソさ加減があるわけでは無い。しかし司馬徽のせいだけではなく、このゲームの楽しい部分が失われていると感じることが増えた。

どういうことが起きているかと言うと、「ゲーム終盤に強い計略を打てる」という内容のカード群があり、この使用率が増えているのである。このカードを使う場合、リスクを払って序盤に責める必要性がないので序盤中盤はガン守りするのである。

これは最高につまらない。相手がこのタイプのデッキだった場合、200円払っているのに相手は全然出てこなくてガン守りする。本気のぶつかり合いがずっとないまま、相手はゲーム終盤に打てる超必殺技一本で勝とうとするのである。試合の最後に1回だけ戦いが起きる。

別にこう言うデッキがあってもいいと思う。色々なデッキがあるのが三国志大戦の魅力であるし、三国志大戦の一番いいところは「自由」なところだと思うからだ。でも、延々ガン守りして戦わなくて、最後に1回だけ戦うときに自分だけめっちゃ強いです、という相手とばかりマッチングするとうんざりしてくるし、貴重な時間を失い続けていると感じる。

これらのタイプの計略を「覚醒・漢鳴」という。このシステムのせいで本気でない戦いが増え、ゲームの濃度が著しく薄まっているように感じる。これらのデッキの序盤が笑っちゃうくらい弱くてめちゃテクニカルじゃなきゃ無理と言うならまだわかるのであるが、序盤の「覚醒・漢鳴」計略にそこまでのリスクがないのでガン守りが可能になってしまっている。そして試合終盤で安定して強力な攻めが可能なので、「リスク低・効果高」にあたる。まさに三国志大戦の力学が破壊されている状況。

ガン待ちはつまらない、そんな状況を打破する革命的な発明が三国志大戦4のときにあった。それが「内乱」というシステムである。これはガン待ちしていると城にダメージを食らうというもので、とてもいい仕組みだった。しかし最近さらに追加でできた「遊軍」というシステムは城ゲージが減っていると先に有効な技が打てるというもので、ガン待ちデッキも強くなるような仕組みだったりする。

ガン待ちはもちろん作戦の一つだし、そういうデッキがあってもいいと思うけど、結局リスクを引き受けていないわけだし、ゲームスピードは落ちるし、本気の戦いが起きないし、でとにかくつまらなくしている。

三国志大戦と言うゲームが復活するためには、漢鳴・覚醒を廃止するか、ネタデッキ並みに弱くするしかないと感じる。

もちろん漢鳴・覚醒のシステムが好きという人がいるかもしれないし、このシステムはこのままかもしれない。その場合は自分はこのゲームには戻ってこないと思う。退屈な時間が多すぎる。

三国志大戦というゲームのシステムは本当に神がかっていて、操作感というのも唯一無二であって、とにかくプレイすること自体が本当に楽しいゲームだと思う。こんな奇跡的なゲームもうないんじゃないかとさえ思う。しかし、「覚醒・漢鳴」と対峙するとそういった戦いの操作は別に意味ないんだよと言われているように思える。

しばらくはこのゲームから離れますが、開発陣を応援しています。

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