不破さん

僕の初めてのバイト先の店長の名前が不破さんだった。
一番最初のバイトだったので右も左も分からない状態だったので、印象に残っている。

バイトの現場に入った時に、「不破さん、これどうやったらいいんですか?」「不破さん、これはここに置いたらいいですか?」などと話していたら「小川くん、ここでは不破さんではなく店長と呼んでね」と言われたのを思い出す。

不破さんは他の従業員からはかなり不評だった。彼のいないところで店長の悪口を言っている人は多かった。
しかし、僕にとっては最高の店長だったと思っている。今でも悪口を言っていた人たちの方が間違ってたと思っている。

不破さんはとにかく時間の意識が高く、自分がサービス残業をさせられたことはなかった。
作業が伸びて、退勤時間がオーバーしそうになると15分単位で超過分の料金を払ってくれた(本部からそう指導されていたのかもしれないけど)。
別のバイト先で、毎回2時間サービス残業させられていたこともあるので、不破さんの爪の垢でも煎じて飲ませたかった。

ある日、自分が誤って店の丼を割ってしまった。
その時に不破さんに怒られた。詳細を覚えていないが、何か自分のせいでない要因によってその事故が発生したっぽくて、怒られたことに納得がいかなかったので咄嗟に言い返した。

「じゃあ弁償します。いくらですか?」

その時、そういう風に言うんじゃないよ、と嗜められたのを覚えている。そしてその丼は(たしか)二千円くらいした。その時はそんなにするわけないじゃんと思ったのだが、まあ今考えるとしてもおかしくはない。額を聞いて僕の勢いが少し陰った。
その後やりとりがあって結局僕は弁償しない形で話が落ち着いた。僕は真正面から払うと啖呵を切ったのに、店長がうやむやにしてくれたのだ。振り返って思ってみるととても優しかったと思う。

その店ではお昼時のピーク時では混雑っぷりがやばくて本当にカオスな状況だった。僕は初めてのバイトだったのもあって、初めてやるゲームのような感覚で脳汁全開で毎回走り抜けていた。ものすごい勢いでタスクを処理していった。
いつしか、僕は店長に頼られる存在になっていた。

そんな日々を過ごしていた時、東日本大震災が起きた。

東京が混乱していて、僕は一旦状況を落ち着けたかったのでバイトを辞めることにした。
店では職場の中国の人は帰国するとのことでみんな抜けてしまい人がほとんどいなくなっていた。

自分が辞めると言うと店長はキレ出した。本気でキレられたのは初めてだった。店長にとって頼みの綱だったのかもしれない。

「もうやばいことがあったら諦めるしかないって。もう俺はここから動くことはできないんだ。もし放射能が来たら俺はここで死ぬんだよ」

あの時の店長の表情は深く刻み込まれている。
それを思い出すと今でも申し訳ない気持ちになるのだが、自分の初バイトの店長が彼で良かったと感謝している。

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