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“消費されない良いニュース”を創る  気鋭のノンフィクションライターの挑戦

どんなニュースも同じタイムラインに流れ、同じように消費されていく時代、人々に新しい気づきを与え、思考を促すニュースとはどのようなものか? 私たちは日々流れてくる情報をどう読んでいけばいいのか? メディアに携わる人間の在り方とは? 今最も注目されるノンフィクションライターに話を聞いた。 写真=高橋淳司 文=白戸翔(本誌)

THE FORWARD
石戸諭(いしど・さとる) 1984年、東京都生まれ。ノンフィクションライター。2020年に「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」で「第26回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」、2021年に「文藝春秋」掲載のレポートで「PEPジャーナリズム大賞」を受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)『ニュースの未来』(光文社)、『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)、『視えない線を歩く』(講談社)『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)がある。

メディア環境に流されない普遍的なニュースの在り方

石戸諭は毎日新聞で10年弱、その後BuzzFeed Japan の立ち上げに参画し2年弱、そして2018年からはフリーのノンフィクションライターとして活動している。

「就活でたまたま新聞社に潜り込めて記者をやってみたら結構面白かったというだけで、しかも補欠入社なんで偉そうなことも言えない」と本人は言うが、近年、彼の書くニュースの多くが大きな反響を生んできた。

特に話題になった記事に、激しい賛否を巻き起こしながらもベストセラーを連発する百田尚樹とその周辺に迫った『百田尚樹現象』(『ニューズウィーク日本版』2019年6月4日号)や、休業要請に応じない店を糾弾するなど極端な行動を取る26歳の青年を取材した『自粛警察―小市民が弾圧者に変わるとき』(『文藝春秋』2020年8月号)がある。前者は後に『ルポ百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)と題して書籍化、後者は『文春オンライン』にも掲載され、インターネット上に公開された記事から特に優れたものを表彰する2021年の「PEPジャーナリズム大賞」の大賞に選ばれた。

新聞の部数減、テレビの視聴率低下など、メディアをめぐる話題は暗いものが目立つ中で、石戸は媒体を問わず、話題となるニュースを送り続けている。

「やっぱり全体的に萎縮ムードはあると思います。確かに新聞も出版物もかつてほど売れなくなって久しいし、僕も同じように苦労していますが、その現実の中でもやれることはあるんです。メディア環境は変化しても、変化しない良い部分を見極めることが大切です。中身が磨かれたコンテンツはいつ
の時代、どんなメディアでも良いコンテンツです。一つひとつのコンテンツの中身を丁寧に詰めていく。ニュースを発信する側の人間が、そういった原点に立ち帰らなければいけないと思っています。発信者である我々が未来を悲観したところで何も始まらないんです。目の前の仕事を一生懸命こなす以
外に活路はないのです」

石戸は新著『ニュースの未来』(光文社)の中で、“良いニュース”をこう定義している。

①事実に基づき
②社会的なイシュー(論点、争点)について
③読んだ人に新しい気づきを与え
④かつ読まれるもの

この定義は普遍的だ。しかしそもそもなぜ、大切な中身の部分が議論されなくなってしまったのか。

「やっぱりSNS に大きな要因があると思いますよ。2010年代はSNS の時代で、感情でつながる時代だった。これまで注目されなかった問題に光が当たった良い側面もあった一方で、“ゆっくり考える”時間はどんどん奪われています。今日大事だった話題が明日には他のムーブメントに取って代わられるような、インターネット、とりわけSNS というメディアの速い流れに、書き手も受け手も流されてしまっている」

新しいニュースが量産されては消費されていくインターネットの中では、いかに人々の感情を刺激するかに心血が注がれる。感情に訴えることは必要だが、それだけが先行して大切な中身がついてこない記事も多い。

「特にコロナ禍はそれが象徴的な問題として浮上しましたよね。例えば医療体制やワクチン接種の問題にしても『政権のせいだ!』と言って溜飲を下げさせる記事が量産され、連日シェアされました。SNS では、日々みんなが社会運動をしている。もちろん批判は大切な行為だしそれぞれが声をあげることも大事ですが、その批判を受け取ってくれる人たちを増やさないといけないし、批判+αも必要で、問題を解決するための具体的な事例を積み上げていかないといけない。そういう問題意識はずっとあったんですよ。2011年の東日本大震災の時から考えてきたかな。ニュースはメディアを介して伝えるものであって、メディアに流されてそっちに適応してはダメなんです」

地道に頑張っている人たちの話を拾っていく

2021年の冬。新型コロナ第三波が襲来し、ほぼ全てのメディアで「医療崩壊」が叫ばれた。その時期に石戸が書いた『ルポ新型コロナ 医療非崩壊』(『ニューズウィーク日本版』2021年3月2日号)という記事がある。

「簡単に説明すると、新型コロナウイルスにかかわる医療従事者を上から下まで書いたんです。上というのは高度な医療を提供する大学病院、下は街のクリニックやNGO で働く看護師の人たちですね。後者の看護師は主にクラスターが発生した医療機関に支援で入るという仕事です。上流から下流の現場を取材して、一本にまとめてみようと思ったんです。この記事を書くに当たって自分に課したのは、SNS で積極的に発信している人はなるべく登場させないということでした。SNS の論争で一番犠牲になるというか、拾われなくなってしまうのは、現場で実直に取り組んでいる医師や看護師たちが何をやってきたかっていう話なんです。言い方は悪いのですが、派手ではない取り組みが多いのです。ですが、この地道さに結果と本質が宿る。現場でしっかり結果を出している人たちの話を聞いて、シーンを描かないとダメだと思ってやった企画なんです。
取材をしてみると、在宅や訪問診療の重要性や地域の医療連携が大切という話も、保健所に来ない場合のシミュレーションをしておくといったその後も問題になる点がすべて出ていました。どこか一点ではなく、多面的に自分の目で全部見る。見えてくるのは全部小さな話ですけど、それを積み上げていくと厚みが出てくるわけです。マスメディアはあそこの病院でクラスターが出て大変だ、次はあっちだと報道しますけど、一方でしっかり取り組んでいるところもあるんですよ。その視点を伝えることも大切なんじゃないですかっていう当たり前の話なんですけどね」

センセーショナルではない地味な話題、かつ読み手に思考を促すような複雑なテーマは、その重要性にかかわらず、いつの時代も届けることが難しい。まして感情で繋がるSNS 全盛の現代においては、一層困難になっている。

「でもそれは書き手の工夫次第なんですよ。僕は例えば小説家だと伊坂幸太郎さんの作品が好きです。伊坂さんの作品の多くは結構難しい社会的なテーマを扱っていますよね。『ゴールデンスランバー』(新潮社)や『火星に住むつもりかい』(光文社)といった作品では、監視社会といった社会のシステムの話とか、人間にとって自由とは何か? というテーマを真正面から扱っています。現代版ディストピア小説でもあり、監視システムとどう向き合うかという問いを逃げずに描いているじゃないですか。
2018年に『かがみの弧城』(ポプラ社)で本屋大賞を取った辻村深月さんにしても、「いじめ」や「不登校」といった重いテーマを描いていますよね。映画化された『朝が来る』は特別養子縁組をテーマにしています。僕は彼女の小説を新しい「社会派」だって書いたことがあります。伊坂さん、辻村さんはともに読み手に考えさせるような社会的なテーマを、多くの人に届けています。
これは批評家の東浩紀さんの受け売りになってしまうんですけど、知的好奇心を持っている人、強い人たちっていうのは決して少なくないと思うんです。だから、社会に対する関心とか、そういうものが薄れているとは全然思いません。ニュースの需要はいつの時代もあるわけじゃないですか。むしろメディアのほうが需要に応えられていないんです。特に僕らみたいなニュースの出し手がそれに応えきれていないと思います。SNSを介した一時的な社会運動とか、それはそれで大切ですが、本当に大切なところってそこじゃないよねって思っている人たちもいる。そういうニーズにきちんと応えていきたいですよね」

理解できない相手を取材して見えてくること

石戸の代表的な仕事に、冒頭で上げたニューズウィーク日本版の特集『百田尚樹現象』がある。これはもちろん、百田サイドに肯定的な企画ではない。自分の思想とは異なる人物に対して、ある種の課題意識を持って取材するのは、ジャーナリズムの世界ではふつうのことだろう。しかし、自分に好意的ではない取材者を歓迎する取材対象者は少ないだろうし、困難が多いことは容易に想像がつく。ただ、「そんなことは世界中のあらゆるニュースの担い手がやっていること」と石戸は言う。

「当然、一回依頼してダメだったら二回三回とアタックしますよ。これはそこまで詳しく書かなかったですが、百田現象を取材していたときも「取材を受ける」という返事をもらった後に「やっぱり断る」と言われたりもしましたし、断られることは普通にありますよ。そこからあの手この手で説得する
わけです。
#MeToo 運動につながったスクープの裏側を描いた『その名を暴け:#MeToo に火をつけたジャーナリストたちの闘い』(新潮社)に出てくるジャーナリストたちは、最後にワインスタインのスキャンダルを暴くわけですが、その過程で証言者たちに断られたりしています。世界中でいろんな人がやっていることで特別なことではありません」

石戸は後に書籍化した『ルポ百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』の序章で、百田現象を取材した自身の立場を、「批判のための批判をするのではなく、現象そのものを理解し、彼らを知るために研究が必要である」、「彼らの言説そのものの妥当性よりも、なぜ彼らがそう考えるに至り、なぜ彼らの言葉が多くの―少なくとも左派系・リベラル系の著作よりも広範な―読者を獲得するのかを解き明かすことが大事だと考えている」と記している。

価値観の異なる相手を取材し、見えてくる事実とは何か? 石戸は自粛警察の活動に勤しむ若者、自称撃退系ユーチューバー「令和タケちゃん」(26歳)を取材したときの様子を振り返る。

「彼にはインスタのDM を使って取材させてほしいと連絡を取りました。そうしたら「いいっすよ」みたいな軽い感じで返事がきて、正直「ほんと大丈夫なの? 俺たち騙されてない?」って思いましたよ(笑)
取材当日も「ほんとに来んのかな〜?」と思いながら待っていました。そしたら、当日彼は時間通りに現れて、しかもカチッとしたスーツを着てきたんです。紺のスーツで、ちゃんとネクタイまで締めて来たんですね。ブルーリボンのバッジもつけていました。
彼はユーチューバーなので取材を始める前に、おもむろに自撮り棒を出して「これから文藝春秋に行きます!」みたいなノリで撮影もしようとしていました。僕が「今日はこちらが取材している側なので、撮影はちょっと勘弁してくれないか君」とお願いしました(笑)。そしたら彼は「そっすよね、ダメですよね、わかりました!」って言って大人しく仕舞うんです。真正面からお願いしたら仕舞ってくれるんですよ。なんか粘りそうなイメージがあるじゃないですか。でも実際に取材してみるとそんなことないわけです」

「令和タケちゃん」のユーチューブチャンネルにアップされた動画を見てみると、コロナ禍で店を開けるパチンコ店の前で、来客者にマイクで罵声を浴びせる彼の姿に強烈な印象を受ける。

「その姿の一方で当時の彼は、普段は都内の建設会社で働く会社員でもあったわけです。母親はタイに帰国し、高校在学中に父親が亡くなってしまい身寄りがない。その中で近所の人がアパートの手配をしてくれて、奨学金を受け取りながら高校を卒業して、自衛隊入って……と生い立ちから聞いていくと彼は彼で色々苦労している。
こっちも裏を取らないといけないから、発言の裏も取れる範囲で取りました。僕は当然、彼の意見には同意しないし記事も批判的な感じで書きましたけど、誰にもその人なりの人生とかがあるわけです。世間一般で言われているような感じではないなとか、取材するとわかるんです。この辺の話は今書いている新刊『東京ルポルタージュ』(毎日新聞出版)の中にも入れるつもりですけど、人間には一人ひとりにストーリーがあって、それが織りなす社会っていうのは複雑なんです。どっちが正義とか何が正しいとか、簡単に答えが出ないことばかりなんです」

石戸が目指すもの、それは「瞬間的に人々の興味を引いて明日には忘れられてしまうような消費されるニュースではなく、人々に思考を促し、前に向かっていく良いニュースを出し続け、経済的な利益も含めて循環させること」だ。

「僕だけが目指してもしょうがないんで、そういうのに共感してくれる人たち、メディア企業の人たちも含めて、共に良いサイクルを回していけたらいいですね」

掲載=THE FORWARD vol.1

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*石戸さんの著作