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詩のスケッチ6)なにもないとは言うけれど

口をそろえて

誰も彼もが言うのです

ここにはなんにもないと。

不思議なくらい、

どこにいっても、

口を揃えて皆がいう。

大都会であろうと

はるか半島の先っぽであろうと

あたたかな海に面した街であろうと。

老若男女

誰もがいう。

つい口をつく

この「なんにもない」が

根差すのは

謙遜、

遠慮、

それとも強欲?

隣の芝生はみな

ただひたすらに

青く見えるのか。

おかしいな、おかしいなあ、

どこに行ったって、

こんなにもたくさんの

ヒトや

モノや

コトがあるのに、

なんにもないなんて

おかしいなあ。


ところがもひとつ

おかしい点が

あるのです。

それでもみんな

その「なにもない」に

嫌悪や忌避を

まるで込めてやしないのです。

どちらかといえば、そこにあるのは

愛着、

思い出、

少しの哀情。


「なにもない」と言えるということ、

それは「日常」を生きているということ。

「平凡」を生きているということ。

日々を踏みしめて噛み締めているということ。

彼ら一人一人が確かな生活者であるということ。

日々を、くるおしい虚しさと共に、抱きとめているということ。

「なにもない」といえるのは、他言無用の、他の誰にもわからない

ひとりびとりの豊かさを生きているという、手応えのこと。

あるいは、そう、

「居場所」と共にあるということ。


これもいいし、あれもいい、

それもいいし、こっちもいいな。

そんな豊かさを生きているのでは

なんだかむしろ、それこそ強欲で

「なにもない」気がしてくる。


「なんにもないんです」

柔らかな微笑をもって

そういえる日がきてもいいなと

思う。

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