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弥生時代

弥生時代のはじまりがいまから三千年前

弥生時代と呼ばれるようになったのは土器の制作において縄文時代と明らかな違いが見受けられるようになったからだ。縄文土器の作成には窯で木を焚くのだが、

これに対し弥生式土器は窯に炭を用います。炭は、ふいごを吹くことで、室の温度を千三百度まで押し上げることができます。このため弥生式土器は、薄くて硬い土器になるわけです。
庶民の日本史 小名木善行
たたら製鉄の歴史は鞴の発達と深く結びついているといえます。わが国で、最初に記録に現れる鞴は天羽鞴(あまのはぶき)という皮鞴で、真名鹿(まなか)の皮を全剥ぎにして作ったとされます(日本書紀)
wakou museum
18世紀中頃(1754年)に書かれた「日本山海名物図会」の「鉄蹈鞴」の図では、構造は側面と底を粘土で固めた箱を中央で2つに仕切り、各室に吸・排気用の弁をつけ、これに合致するしま板をのせて、しま板を6人の作業者が踏んで上下運動させて風を送っています。図の説明として、鉄を溶かすのに十分な火力は踏み鞴によってこそ得られたと記されています。
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たたら製鉄のように鉄をドロドロに溶解するには二千度の熱を必要としたが、真っ赤に熱するだけならふいごで炭を吹けば実現できたということである。

つまり炭とふいごによって、縄文時代には考えられなかった高温の炉を実現したことが、弥生式の土器につながっていき、この温度の実現によって鉄の鍛造が始まるのです。
庶民の日本史 小名木善行

そういえば、昔、友人の陶芸家がふいごの仕組みを教えてくれたことがある。木造でふいごを作るわけだが、シリンダーを箱の形に作って、ピストンもそのサイズに合わせるが、精密に作ると、摩擦で抽送ができなくなり大雑把に作ると空気が漏れて送風ができない。そこで、たぬきの毛皮を貼るとうまく送風できる。
「たぬきの毛皮でないとダメだ」と念押しをされたことを覚えている。

日本の歴史は面白いと感じ始めている。外国から日本に伝わった技術を見つけ出そうとするが、なかなか出てこない。

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