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日本人の源流

すでに遺伝子学と考古学から明らかなように、新人(ホモ・サピエンス)はアフリカで今から20万年前に誕生した。そして最初の新人はおよそ6万年前にアフリカを旅立ったと考えられている。Y(男性の系統を示す)染色体とミトコンドリアDNA(母型を示す)の研究により、科学者はそれらの断片をつなぎ合わせ、どの民俗が何時ごろ、何処に移動して行ったかを一挙に書き上げた。

BBCウェブサイトからの 日本人の祖先は縄文人だった

縄文人(日本人)の移動経路は判明した

The Geographic Project

新人が日本に流入したルートが二つ特定された。
遺伝子マーカーで特定されている、東側ルートのM130と西側ルートのM174だ。

元々同じ新人だったのだがグループが二つに分かれ日本に到達している。

沖縄経由で九州に上陸し、出雲あたりから中国に渡ったM174
マレーシアからフィリピンを経由し伊勢、香取、鹿島に到達し北海道からロシア、アメリカへ渡ったM130.

これが確定した事実であるとされているので、神話のわからないところを繋いでみると、スッキリ理解できるようになった。

旧石器時代の遺跡は日本に1万以上存在する。
出雲でも発見されている。

素戔嗚尊とは海を司る神と定義されているので、海人族だろう。
その海人族が出雲にたどり着き、土着の民族を追い出したのが八岐大蛇退治だった。
追い出されたヤマタ族は、九州地方に渡り、生活の基盤をここに置き、日本最古の神社と言われる幣立神社を作る。(幣立神社には高天原白保古峯と表示がある)

ここから宮崎の高千穂へ勢力を広げたヤマタ族(天孫族、後にヤマト族?)は勢力を強め豊後、筑紫を纏めながら、東征して行く。神武天皇の偉業とされる。

大和(奈良)に落ち着き、勢力を強めた大和朝廷は、出雲から出雲族を東へ追い払った。追い払われた出雲族は東へ歩を進めたが、諏訪で、M130の勢力(伊勢、香取、鹿島、青森、北海道)と対峙することになった。

当時の縄文人は同じ遺伝子マーカーを持ち、進行ルートが違ったために、生活環境の違いが生じ、多少の文化の違いはあるが、基本的に同じ人種なので、対人殺生をしない。睨み合いをしながらも話し合いの中で生活していた。

更に、後を追いかけてきたヤマト族が攻めてきたので、諏訪神社は4つの神殿に分かれているのだと思う。

上社本宮はM174系で大きなしめ縄があるので、出雲直系だと思う。
上社前宮はM130系の東北系だと思う。
諏訪湖を挟んで
下社春宮はM174系で大きなしめ縄があり、出雲とヤマトの混合。
下社秋宮はM130系で大きなしめ縄はなく、洩矢族とヤマトの混合。

同じ人種が、4つの文化に分かれて対峙している諏訪大社は、日本人の源流を探る大きなヒントになる。

大陸からの影響は先に大陸に渡って行ったM174を調べてみたい。
大きな流れが掴めれば、自然にジグソーパズルのように収まっていくと思われる。



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