無駄こそが人生
「無駄を無くしましょう」とアピールする人達がいる。
言語明瞭意味不明瞭の極致だ。
無駄とはなんだろう、どのように定義されているのか調べてみた。
むだ【無駄・徒】
(名・形動)[文]ナリ
①しただけの効果や効用のないこと。役に立たないこと。また、そのさま。無益。「━をする」「━を省く」「努力が━になる」「━な骨折り」
②むだぐち。「昇の━を聞ては可笑しがつて/浮雲四迷」
[派生]━ さ(名)(大辞林)
「無駄を無くしましょう」とは「全ての行動を功利的にしましょう」との意味らしい。「行動の全てを損得で考えよう」と言うことでもある。
このような考え方をどこかで読んだ気がする。
共産党の考え方だ。人口 X 労働時間 X 365 = 年間生産高
共産党の失敗原因はここだ。人間が休んだり、病気をしたり、ズルをすることが計算に加味されていない。
無駄こそが人生
芸術が無駄の極め付きで、人間に感動と、安らぎを与えてくれる。
芸術を愛すると言うことが無駄を愛すると言うことだ。
1980年代にオーストラリアで、USSR製の大判の美術本を手に入れることが出来た。重量が重く日本に持ち込むのに苦労した。
日本で未公開のルノアール、ルドン、ピカソの絵がたくさん乗っている。苦労して持ち帰って良かったと思っている。
USSRが共産主義から抜け出すことができたのは、バレー、絵画、音楽等芸術を大切に取り扱ってきたからだと思う。
もう一度、観念的に無駄を省くことを考えて見た。
無駄の排除を続けると、つまりは『自分こそが無駄なのではないか』と自分の存在についてまで考えてしまう。
自分の存在価値に不安を感じた人間は、神を作り出し、『神は人間を、神に似せて作り全ての管理を任せた。』などどとんでも理論を作り出した。
感動こそが人生、芸術が感動を伝えてくれる。周りは無駄なものだらけだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?