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誤射

10月21日 米国ニューメキシコ州サンタフェで銃の誤射事件があった。

アレック・ボールドウィンが映画の撮影現場で銃の誤射をし、撮影監督のハリナ・ハチンズが死亡、ジョエル・ソーザ監督が負傷したとのことだ。

この事故に関して、奇妙なニュースが出ていた。

安全管理を軽視する助監督を野放しにしてきたせいで、ボールドウィンは人を死なせてしまうことになったのか(NewsWeek)

人を撃ち殺した犯人よりも、銃を手渡した人間の方が悪く言われているような気がする。私には、銃を持てば安全装置が働いているか、弾が装填されていないか確認するのが当然の義務だと思われる。映画で使用する銃なら特に気をつけるものだと思う。

また銃は人に向けるものではない。アメリカで警官に銃を向けたら即時に射殺されても文句は言えない。

さらに不思議なのは、この銃の誤射に関するニュースで、誰が銃を渡したか、誰が銃をチェックしたか、誰が撮影を開始したか、などと周りの責任ばかり追求して、なぜアレック・ボールドウィンが銃のチェックをしなかったかを追求していない。

特に気になるのは死んだハリナ・ハチンズに対して誰も謝罪をしていない、また遺族、恋人などにも言及していない。どういう精神構造をしているのだろう?

よく似た現象で Queen というバンドが歌った 『Bohemian Rhapsody』という 曲がある。この誤射と同じような状況が描かれていて、「友達の頭に銃を向けたら誤射でその友が死んでしまった。」という設定で、歌手のフレデ・マーキュリーは最後まで自分のことを『僕はただの哀れな男』と自称して「ママー、死にたくないよ、自分の人生は終わった、、、、、、」延々と最後まで自分のことを哀れで不幸な男だと叫んでいる。

英語の曲だから、すぐには意味がわからなかったが、何度か聞いているうちに少しずつ意味が聞き取れてきた。

この人、最後まで自分が殺した男のことなど眼中にない、突然殺されてしまった男のことや家族、恋人などについての思いやりがない。最後まで自分のことを泣き喚いているのだ。

アメリカで1000万枚売れたこの曲が、映画化されて10億ドル(1100億円)の売り上げを上げたそうだ。

哲学者マルクス・ガブリエルが言った言葉を思い出した。

他人の気持ちを読もうとすることはアンフレンドリーであると思われるので、してはいけないと考えられています。(マルクス・ガブリエル )

彼らの道徳観念は日本人とは全く違うということを強く理解しておく必要がある。



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