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『土偶を読む』到着
『土偶を読む』、今日到着したので早速手に取って読み始めた。
期待通りというか、それ以上の満足を味わっている。
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最近の科学的考察や、DNA解析の結果から中国や韓国等、北方から文化が流入してきた形跡があまり見当たらないことに驚いていた。
最近の人類の遺伝子研究からアフリカを出発した人類が、日本列島に到達したのは、奄美経由、とグアム・サイパン経由の2系統があることが解明された。
この事実と無理なく重なるのが、この『土偶を読む』だ。
命の糧として栽培していた植物をモチーフとして形作られた土偶は豊作の祈願を込められたフィギュアで大切にされたと記載されている。
日本で発見された最古の土偶は滋賀県近江市で発見された16500年前の草創期『相谷土偶』だ。次に発見されたのが、1万1500年前の鹿児島県霧島市の早期『土偶』だ。次が7000年前の山梨県笛吹市や茨城県土浦市の前期『板状土偶』と続き3220年前のものは稲作を象徴した晩期『結髪土偶』が山形県真室川町、その同時代の青森県つがる市の『遮光器土偶』が発見されている。
というように南方や西方から北へ伝わっていったことがわかる。
ここで世界史のメソポタミア史を覗いてみよう。
古代メソポタミア文明とは
紀元前3500年の都市文明のはじまりから、前539年の新バビロニア王国の滅亡までの3000年間の歴史です。(略)
同じ頃の日本はおおむね縄文時代です。縄文時代は「平和で豊か」としばしば形容されます。「平和」を否定するものではありませんが、緊張感の少ない島国の一国平和主義の原点が縄文時代にあるのではないのでしょうか。
世界史の学者は日本史に全く興味がないように見える。
縄文人は狩猟採集だけをしていた野蛮人ではなく、植物栽培までを行う文化的生活をしていたことが窺える。
真実はどんな新しい事実が発見されても矛盾は生じないので、あらゆる科学が総合的に歴史に関与してくれる日を夢見ている。
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